イラン2(No.39)親切は続くよ、どこまでも〜テヘラン2

【展示物もすごいよ!】

1016日(晴れ)

ホテルハイヤムに移る。マサト初めて闇両替に挑戦。儲けようとして失敗。アラーの警告か?などと言って、笑う。私は久しぶりに、実家に電話した。父・母とも元気。電話できてうれしかった。しかし、電話局の人たちも、皆、愛想が良い。イランの人ってこんなにフレンドリーなんだなあ、と感激。(とくに男性の若者が親切だ)。

イランの物価もものすごく安い。たとえば、バス100リアル(2円)、ザムザム(ジュース)500リアル(10円)、宿4000リアル(1人・バス・朝食付き)1リットルジュース3000リアル(60円)

午後は考古学博物館へ。これが、教科書で見たハムラビ法典か!!くさび形文字だー!!これが、本物のダリウス謁見の図か!すごいすごいと感心するばかり。ペルシャの歴史の奥深さを感じる。考古学博物館は2階建てだが、2階は閉まっていて見られない。残念。展示内容はイスラム化以後のものだそうだが、なぜ、閉まっているのだろう。

考古学博物館が早く見終わってしまったので、ガラス・陶磁器博物館へ。博物館の建物自体がまず美しい。ガラスも美しいが、カシャーンから出土し、13世紀に制作されたという、陶器に描かれている人物が中国的で興味深い。考古学博物館、ガラス・陶磁器博物館共に、日本人ツアー客と一緒になる。参加しているのは年輩の方が多い。

ガラス・陶磁器博物館で売られていた、絨毯博物館の絵はがきが大変美しく、午後4時近くなっていたが、タクシーを飛ばして絨毯博物館に行く。高かったが、見に行った甲斐があった!1階に展示されている絨毯も素晴らしいが、2階に展示されている、フェルドーシーの詩をモチーフにした絨毯をはじめ、物語を題材にした絨毯がすばらしい。芸がこまかくて、ペルシャ人の器用さをまざまざと見せつけられる。そういえば、考古学博物館で見た石細工も細かい模様が精巧に彫られていた・・・。じっくり見たいが、警備員に「もう、時間だ」と追い立てられる。午後4時半で閉館。

絨毯博物館が山の手にあったので、そのまま食事でもしようかと街を歩いていたら、道に迷ってしまった。おろおろしていると、「必ず登場する」親切なイラン人が!!しばらく一緒にあるいて、場所がわかったので、「もう大丈夫です。分かりましたから」といっても、「ホテルまで案内するよ。」と自分が行きたかった方向と逆方向なのに、連れの人までまきぞえにして案内してくれる。

そして、「イラン人の友人が欲しいか?」と聞いて住所をくれた。彼らは何も見返りを求めない。うむむ。本当に親切だ。

【土地になじむために】

ところで、私は今黄色いレインコートを着てスカーフをしているのだが、黒や紺がファッションの主流であるこの街において、私の格好は非常に目立ってしまう。道行く人は振り返るし、時には笑われるし、「ガイジンデス」とゼッケンをつけて歩いているようなものだ。しかも、レインコートは風を通さないので暑い。10月とはいっても、日中はまだまだ25度を超えるのだ。それに、これから長い期間イランで過ごすのだから、せめて格好だけでも現地の人と同じにしたい・・・。そう思い、婦人服店でコートを買う。私のサイズは小さすぎるらしく、子供用になってしまい、あまり選択肢はない。その中からまあいいかと思える、紺色で足下まで布地があるものを選んだ。分厚いガーゼのような素材で、レインコートに比べれば、多少通気は良い。2000円相当の品物である。これで明日からすこしここになじめるかしら?

ホメイニ広場に戻るバス停近くのハンバーガーショップで食事しようとする。しかし、メニューはペルシャ語、店員は英語を話せないので、なにがなんだかわからない。

困っていると、こんどは日本語使い登場!私たちに代わって、食べ物の注文をしてくれる。本当に人に助けられてばかりだ。

そういえば、今日、午前中に街の公衆電話でトルコ航空に電話しようとして、電話に入る大きさの小銭が見あたらなくておろおろしていたら、若い青年(男)がコインをわけてくれたっけ・・・。すっかりもらいもの人生だ。

 

【女子大生と話す】

1017日(晴れ)

ホテルカイヤムの朝食は、ミナホテルよりも更に質素で、出てくるナンもミナより質がよくないが、夕食1回分の節約をしているのだから、良しとしよう。あのホテルは私たちには贅沢すぎる。(スイートだし・・・)朝食メニューは、茶、ナン、卵・チーズ・蜂蜜の中からいずれか一つ。野菜がない。どこかで野菜不足を補わなくては・・・。

朝食の時、食堂でテレビがついているのだが、必ず女性キャスターがニュースや対談のようなものをやっている。キャスターはもちろん、黒い頭巾に黒いチャドル。お祈りをテレビで放映しているときもある。「今日のハタミ師の言葉」とかをやっているような気がする。

トルコ航空に電話すると、「オフィスに来て下さい」と言われる。バスに乗って行く。

バスでは先述したとおり、男女の席が別れているので、私の隣には地元の人が座る。今日は大学生だ。18歳の英語を専攻している学生さんだという。

彼女は、「スカーフや長い服は若い人たちは嫌がっているの。ルールだからしかたなく従っているだけ。」という。

おお、女性の本音だ!とうれしくなり、

「もし、スカーフをしないで歩いたら?」と聞くと、

「外国人の貴方でさえも、警察に捕まるわ。」という。

スカーフや真夏にコートもいやだけど、警察はもっと嫌だな・・・。

彼女の友人は英語のスキルを上げるため、わざわざツーリストがよく泊まるホテルに行って、外国人を捜しては英語を話すのだという。

「外国人が少ないから、皆、英語を話したいんだけど、機会がないの。」という。

また、彼女の通っているアズザフラー大学には、日本人の英語教授がいるという。

「日本人で英語を教えているの!?」と私がびっくりすると、「そうよ。」という。

しかし、「日本の首都って北京でしょ?」とそのあと雑談で彼女は言っていたので、本当に日本人なのか定かではない。

 

【親切は続くよ・・・】

バスを降りて、例によって道に迷っていると、親切なおじさん方がいろいろと助けてくれる。最後まで案内してくれたおじさんは、妻がルーマニア人だという。

「私の住所を教えるから、貴方も教えてくれ。ルーマニアに来たら、連絡してくれれば、我々は歓待する。日本に行ったら、貴方も歓待してくれるね?」

浦和の家に、イラン人が大挙して押し掛けたりして。偽の住所を書いた方がいいだろうか、と少し心配になる。そんなことはないだろうと、本当の住所を書いた。

それはともかく、トルコ航空は紳士的な態度で、熱心になくしものについて手続きをしてくれた。

マネジャーは「日本に帰ったら、弁償してあげます」という。しかし、私たちは当分日本に帰らない。すると、ちょっと困ったようすで、「明日また電話して下さい」という。マサトには悪いが、テヘランでの滞在をもう1日延ばすことになりそうだ。トルコ航空のマネジャーは、ペルシャ語のありがとうのかわりに「メルシ」を使う。イランではけっこう「メルシ」が有用だ。もちろんペルシャ語の「モタシャッケラーム」でもいいが。

 

【旅人に親切にするというイスラムの教え】

帰りのバスは結構混んでいて、目の前の席が空いたので、座ろうかなと思ったが、子どもを連れた女性がおり、子どもを座らせたそうだったので、座るのをやめた。その親子がそう遠くないバス停で降りると、その隣に座っていた老婦人がわたしに「座りなさい」と手招きをする。

そして、先ほどの母親について「この国には教育を受けていない女性がたくさんいる。本当はあなたが最初からこの席に座るべきだった。なぜなら貴方は私の国の賓客(Guest)だから」と怒っている。

私は身軽だから、かまわなかったのだけど・・・。

そして、「テヘランはどうですか?」と聞くので、

「大きくて、清潔な街ですね」と言うと、

「確かにそうだけれども、この国がこうなってしまったのは、残念なことだわ。」とおっしゃる。

やはり、女性の自由のないこの国の政策に不満があるのだろうか・・・。老婦人は80歳にもなろうかという高齢だが、かくしゃくとしており、きれいな英語(これがクイーンズイングリッシュというのだろう)を話し、まさしくエレガント(優美)である。

テヘラン市内はあちらこちらで工事が多く、街が少々ほこりっぽいが、車窓からのぞく工事現場を指さして

「もうすぐテヘランには地下鉄ができるの。あれが駅よ。」と教えてくれた。

なるほど、だからいろいろな場所で掘り返しているのかな。

 

【ゴレスタン宮殿】

ホメイニ広場のバス降り場近くのサンドイッチ屋で食事。ドネルケバブサンドを食べる。羊肉だけれど、そんなに臭くなく、野菜たっぷりでおいしい。イランは、水がよいので、洗った生野菜を食べても安心だ。中央アジアで止まることのなかった下痢が、テヘランに来てからはすっかりよくなっている。

午後、ゴレスタン(バラ)宮殿に行ってみる。18世紀末から20世紀前半まで続いた、トルコ系の王朝、カージャール朝の宮殿だが、バラの季節ではないし、宮殿自体は見られるところがあまりない。

しかし入り口の建物が民俗学博物館になっていて、これがなかなか面白い。イランのいろいろな民族の服装や、屋内での生活がミニチュアや蝋人形で説明されている。民族の服装のコーナーでは、イラン南部、ホルムズ海峡近くの街、バンダル・アッバスにすむという、「仮面をつけた部族」の蝋人形もあった。また、ウズベキスタンで見たようなタペストリーやチロリアンテープなど工芸品の展示があったが、ウズベキスタンに比べ、模様が細かく、美しい!!「これなら、欲しくなるねえ。」と2人の意見は一致する。

マサトは「ウズベキスタンのほうが、文化レベルが低いなあ。」と言った。

「『真似してみた』という点での限界があるのかねえ。」と私は思った。

確かに、レベルが違うのだ。すごいよ、ペルシャ。

 

【バザールもすごいよ!】

ゴレスタン宮殿の南にあるバザールに行ってみる。広くて広くて、何がどこにあるんだか、さっぱりわからない。絨毯屋に行ってみる。

「うちで伊藤忠などの大商社の人たちも買って行くんですよ。」と絨毯屋は早速セールストーク。1畳くらいの小さなものを見せてもらう。シルクのものは、最初「275ドル」とのことだったが、「150ドルでいいですよ。」とのこと。ウールのは「100ドルくらいで。」という。どれも素晴らしくて、100ドルと言われると、ぐらっときてしまうが、買わない。危ない、危ない。本当に欲しくなってしまう。絨毯屋を後にして、バザールを再び歩いていると、親切な人が現れ、ホメイニモスクへ連れていってくれる。ホメイニモスク、とても大きい!

その人がいうことには、「もっと古くてきれいなモスク」があるという。迷路のようなバザールの中を通ってそこへ。中に入らせてくれる。「女の人も入っていいの?」と心配して聞いたが、問題ないようだ。なかがすごい!全面菱形の銀色をしたガラス(鏡)貼りで、きらきらと光輝いている。とても神聖な感じだ。入り口で靴を脱ぎ、中では静かにしなければならない。見学を終え、「ありがとう」とその人と別れようとすると、実は絨毯屋だった。いつもだったら、このようなときには腹がたつのだが、あまりにホスピタリティあふれるイランの人にばかり会うので、見返りを期待した親切に出会って、かえって人間らしいとホッとした気持ちになったのだから、おかしなものだ。

「もう、帰ろうか。」とマサトに言ってみたが、どこが帰り道なのかよくわからない。裏道などを通っているうちに、マドラセ・ヴァ・マスジェデ・モタハリの近くまで来ているとのことで、行ってみる。しかここはもう閉まっていた。

 

【イランの名物甘いもの】

地図にある「シュークリームのおいしい、大きな菓子屋」に行って、シュークリームとケーキを買って帰る。おいしいけど、甘いよ!!

それから、今日街のジューススタンドで、フレッシュジュースを飲んだけれど、とてもおいしかった。(マサト→ざくろ、私→にんじん)ビタミン補給によいです。

 

(つづく)