314日(日) ルアンパバン 晴れ

 

【メコン川に沿ってパクオー洞窟へ】

 我々はまたも1階にいるのだが、庭先のニワトリが朝4時から元気だ。

 我々は7時起床。昨日、少し飲み過ぎたせいか、少々便がゆるい。腹痛はないので問題はない。

 朝食を取りに外へ出て、戻ってくると部屋の掃除が成されていた。びっくり。

 今日はパクオー洞窟に行く予定にしている。ルアンパバンの河畔から船に乗って25kmさかのぼったところにある、仏像が多く安置されているという洞窟だ。

 昨日、宿の御主人に聞いたところでは、宿で手配する船はパクオーまでの往復で、115ドルだという。

 「乗る客が増えればそれだけ安くなるヨ!」とのことだ。

 いっぽう、昨日ワットシェントーンから河辺に出たところにある船溜まりのオヤジに声をかけられ話を聞くと「10ドル」とのことであった。しかし、宿で他の乗客が見つかれば割安になるし、宿の手配ならば安心でもある。

 というわけでホテルの御主人に託したのだが、朝9時にフロントに行くと、

 「残念ながら今日のお客は君たち2人だけだよ」

 と言う。まあ気にしない。

 ほどなく船頭さんがやって来て、出発。

 

【船の川旅】

 船は10人乗りの細長い木の葉船である。屋根が付いているが、今日のように天気の良い日には不要である。

 船は9時半に出発した。船頭のオヤジのほか、今日は日曜日とあってか、少年が1人同行する。

 とちゅう、河畔の村に立ち寄る。これにより、なぜか1ドル加算される。

 観光向けの村らしく、みやげもの屋ばかりだ。だが、村を流れるのんびりとした雰囲気はさすがにラオスである。

 子どもたちも、興味津々でそばに寄ってくるのは良いが、カメラを向ければワッと逃げていく。カワイイものだ。

 この村では織物が盛んらしく、機織りをする女性が目立つ。もちろん、売り物である。

 あとで知ったが、ここはパン・パノンという、織物で有名な観光客向けに開かれた村なのだった。

 1045分に着いて、1110分に出発した。

 

【仏像はありがたいのだゾ】

 洞窟には11時半に到着。

 船に乗って景色を眺めたり、川の流れを楽しんでいる分にはかなりスピードを出しているように思うが、30km足らずの行程に都合1.5時間もかかった。

 洞窟には我々のような木の葉船の他、団体ツアー客を乗せた3050人乗りのやや大きな船もやって来る。が、霊験あらかたというか、いい雰囲気である。

 仏像などを有り難く眺める。白人さんはあまり有り難く眺めない。

 それでも見どころは結構あって、出発したのは12時半であった。

 オヤジについて何かと雑用をこなしているのは10歳になる息子なのだという。

 「こいつは学校で英語を習っているんだ」

 とオヤジが笑い、

 「こら、お前、せっかくなんだから英語で挨拶しなさい」

 と言って息子をこづいては、また笑う。少年も照れくさそうに笑っている。

 少年は、船のエンジンをかけたり、ときには運転を代わったり、働き者だ。

 オヤジにとっては3番目の息子なのだが、4人の子のうち残る3人は娘なのだそうだ。自慢の息子と言ったところである。

 

【滝を見逃して】

 パクオーからの帰路、

 「滝を見に行かないか」と、オヤジに誘われる。それはルアンパバンから今度は南に川を下ること29km先にある、クワンシーの滝という、これまた郊外の見どころではある。

 はじめは「面白いかも」と乗り気になったが、さらに16ドル追加料金がかかるというのでやめた。オヤジ、ちょっと残念そうである。

 ちなみにルアンパバンからトゥクトゥクに乗っていけば10ドルほどで行けるのだそうだ。

 (この日記をまとめている今となっては、この決断は大きな後悔である。旅の途上での金銭感覚とは恐ろしいものだ)

 

【でも楽しい】

 メコン川クルーズは楽しかった。釣り、投げ網、洗濯、砂金、子どもは水浴び、ウシはのんびり。

 大きなスローボートを見る。船旅は旅情ロマンをそそるが、あの船で、この暑さを、2日も3日も流れていくのは大変だろう。屋根の上に白人さんが寝そべっていた。

 いっぽう、スピードボート(4-6人乗りのモーターボート)は速い。お客さんはヘルメットと救命胴衣を付けている。

 しかし、「速い速い」と聞いていたので、少々期待はずれ。乗る身としてはエンジン音がやかましそうだが、外人旅行者だけでなく、現地の人も使っている様子だ。

 

【ラオスは派手だ】

 午後1時半に街に戻ってきた。

 宿へ戻る途中の店でうどんを食べる。地元向けかと思いきや、外人客ばかりだ。

 食後、王宮博物館を通りがかった。ここはあらかじめ宿などで許可証をもらっていないと入れないと聞いていたが、門は開けっぴろげで限定的な感じではない。

 そして、許可証なぞ無くても入れた。

 敷地には、まず金きらキンのお堂があり、これを拝んで、いよいよ王宮へ入る。

 王座の間には壁一杯にモザイク画が広がり、これが面白い。

 寝室やダイニングは広いが以外と質素である。もっとも、ハデハデにしても暑苦しいだけなのだろう。

 しかし、それにしても衣服の品質の高さ、そして精緻な木彫りなどは素晴らしい。肩肘を張っているところが全くない。それが良いのだ。文化レベルの高さが光る。

 これら細やかな芸術品を見るに付け、思い出すのはウズベキスタンの王宮である。そこで、

 「ブハラの王様とはあまりにも違うね。あれは大作りだし、だいいち無理をしているよね」

 と口にしたら、ユウコは目を丸くして、

 「そんなことには思いも寄らなかった」

 と答えた。

 王宮への贈り物として、日本、中国、タイ、インド、ネパール、ミャンマー、アメリカなどからの品物あり。

 滝を見ない決断には少し悔やんだが、思いもよらず王宮を見られたのは良かった。

 午後3時、宿に戻って休憩。

 

【ラオスで思うここまでの旅】

 夕方、外へ出て散歩したいとも思うが、暑い。

 街はひととおり歩いたし、ユウコは鼻カゼを引いたらしく(蚊取り線香のせいではないか、と言うが、そう言われても困る)、よって2人して部屋で休む。

 ベッドで横になったユウコはやがて寝息を立て始めたが、僕は落ち着かない。

 昨晩、少々飲み過ぎたために腹が張っているが、しかし動き回っていないとなんだか勿体ないような気がする。これは良い性分だと自分では思うが、しかしユウコがいつも心配するとおり、「そのうちどこかでバッタリ」倒れてしまうのかもしれないな、と思う。まあ、それも人生だ。一生懸命いきればそれで良いと思うのだけど。

 それでも外へは出ず、あれこれと考え事をする。

 旅に出る直前、「旅の目的は何か?」と知人に問われたが、旅を終えようとしている今になっても、人に説明できるような明確な答えは持っていない。

 そのいっぽう、ブダペストで会った日本人青年は、「日本のサラリーマンでも、1ヶ月の休みが簡単に取れるようになれば、こんな長旅、会社を辞めてまでしないですよねえ」と言っていた。

 これはけっこう当たっていると思う。

 それとは別に、1996年当時、1人でルーマニアを旅行した後、母に手紙で、

 「2週間程度の休みで一国まわったところで何が分かるわけでもないし、つねに帰りのことを考えているだけで行動が拘束された気分になる」

 と書いた。

 まあ、要するに、広く世界を見聞したいと思うと、それなりに時間が必要で、そして今回の旅については、自分が行ってみたいと思った国を並べ、「どうせならまとめて行ってみたい」と考えてルートを作ったら、このような道程になった、ということだ。あまり難しい話ではないのだと思っている。

 「浮き草になりたかった」と書くとユウコに怒られそうだが、「日本を離れてみたかった」というのは確かにある。そして、長いこと離れることによって、自分がどのようなことを考えるようになるのか、その辺りにも興味があったのだ。答えはしかし、大したものではない。日本のことをけっこう知らない、ということが分かった。文化、歴史、宗教、民俗。そして、そういうことを、雑学としても良いから何らかの形で学んで、日本を愛するようにならねばならないと思う。その意味で、僕は旅の途上で何度か思ったが、今の日本には愛国と国防の精神が、というよりそういう方面の教育が欠けているように見えてならない。

 そして、日本国内も、もっと旅行して見聞を広めたいと思う。旅行ばかりしていると全然お金が貯まらないのでユウコには申し訳ないが、日本でも、へんぴなところ、隠れた名所に行くのも面白いと思うのだ。

 

【ビエンチャンへの行き方】

 ルアンパバンからビエンチャンへはメコン川を下る船で行くつもりでいた。「乾期には難しい」という話は聞いていたが、ルアンパバンからフェイサイへ北上するボートは何隻も見たので、南行きもあるだろうと思っていた。

 スローボートで1泊ぐらいかけてゆっくり行くのも良いかと思っていたが、余り時間をかけられない都合もあり、しかしスピードボートでも意味があるだろう。

 そこで宿の御主人に聞いてみると、「今は水が少ないから船は出ないよ」と言う。続けて、

 「バスがあるよ。朝6時、7時、8時、9時。12時間で着くよ。バスは25000キップ。宿からバスターミナルまではトゥクトゥクで2000キップ」と言う。

 バスの途上は景色も良く、楽しい旅になる半面、山賊がちょくちょく出没する区間でもあり、ラオスの中では「危険な区域」とされている。

 もっとも、山賊が出て外国人旅行者が襲われるのは年に1回ていどの「事故」であることは分かっている。

 どこにいたって、乗り物に乗れば事故に遭う可能性はある。日本だろうと中国だろうとラオスだろうと、それは同じだ。

 それは分かっているのだが、しかし山賊は怖い。ということで、飛行機で行くことにして尋ねてみると、少し驚いた表情で我々を見たあと、

 「飛行機は高いけど、1030分発のフライトがあるよ。155ドル。ただし朝8時には空港に着いていないといけないよ」。

 

【ラオス音楽】

 プーシーホテルの緑豊かな立派な庭にビアガーデンがあり、そこでは民俗音楽の生演奏が聴ける。

 暗くなった頃に我々が行ってみると、演奏はすでに始まっていた。

 太鼓1人、胡弓3人はいずれもジイサン、中年のオヤジが2人、木琴をたたく。

 そして少年が2人、小さい打楽器(打鐘とカスタネットのようなもの)を担当する・・・のだが、まるで呑気な演奏であり、ややもすれば、やる気が感じられないのだが、中国で似たような演奏を観るときと印象が違うのは「さぼっていない感じがない」ところにある。

 2人の少年は舞台の最前に並んで座っているが、左の少年はビアガーデンのお客さんをチラチラ見たり、ときおり空を見上げたり、飛んでくる虫を気にしたり、落ち着きがない。我々との距離は10mほどだろうか。

 僕はなんだか面白くなって、彼を見つめ、彼の成すべき打楽器の仕草をマネしていると、やがて彼と目があった。

 すると彼は、見られていることに気づき、姿勢を正し、俄然張り切って演奏を始める。

 6時半から7時過ぎにかけて見物した。演奏そのものは休憩を挟みつつ5時から8時までやっているとのことだが、この野外ビアガーデンでは食事ができないため、プーシーレストランであらためて夕食。

 この食堂も外人だらけである。いままで見ている限り、外食の店はほとんど外人向けであるようだ。地元の人は外で食べないのかな。ちなみに、昼間ボートに乗ったときも、オヤジと少年はお弁当を持参していた。

 英語を喋る数人の白人テーブルがあった。ウェイターは勿論地元の青年だが、いちおう外人向けの店なので英語が分かる様子である。ところが白人共は青年への配慮を全くしないで、普段喋るそのままの、つまり非常に早口で分かりにくい英語でウェイターにまくし立てる。彼が分からず苦笑いをしても全く気にならないらしい。

 こういうとき、英語を喋る白人には腹が立つ。異文化圏にいるという意識が全くないように見える。

 「英語が通じるサービスを受けている」という感覚がないのだ。いつもと同じように喋るところが、非常に気にくわない。そんなにベラベラしゃべって、誰が分かるというのだろう。