1226日(土)シゲット・マルマツィエイ 曇り

 

【クリスマスの2日目】

 昨日の教会の前で朝10時に待ち合わせる。ダナは時間通りにやってきた。

フェスティバル全体のプログラムをすでに入手していたのだが、それをもとに、3人してなんとなく訪れたシンポジウムは、ほんとに学会のシンポジウムであった。20名から30名ばかりの参加者が集まり、その中には市長、県知事、博物館長、大学教授等々の、蒼々たる顔ぶれも見られる。アメリカからも大学の研究者がやって来ている始末。あまりに場違いなので外へ出た。

それで、マラムレシュ民俗博物館に行ってみることにした。先日、閉まっていた野外博物館ではなく、町の中心にある博物館である。民族衣装、イコン、家具、古い民家の門構え、柱など、見応えは充分にある。ダナは「子どもの時以来だから面白いわね!」と楽しんでいる。

 

【教会は場違いか?】

 そのあと、ダナの案内で「もう1つの」オルトドクス教会へ行く。こちらは街の中心から10分ほど歩いたところにある、古い教会である。中ではセレモニーをやっていた。ほぼ満席である。賛美歌を歌っている。我々も入り、参列に並ぶ。協会の内部はたしかに古っちいが、逆に宗教の重みを感じる。司祭が教会中央の花道を、お香を振りまきながら歩いてくる。「お香を振りまく」とは、お香の入った袋、あるいは小箱のようなものをつり下げたひもを手に彼は歩いてきて、そのひもは、御香箱が彼の足下に来る程度の長さであり、彼は参拝者に近づきつつ、その御香箱を(もちろん人にぶつからない程度に)振りまいているのだ。参拝者は次々と、深く頭を下げて司祭に十字を切る。なかにはひざまずく者もある。その姿を見た瞬間、僕はひどく場違いなところに自分がいることを実感し、ここから逃げ出したくなった。十字を切るべきか、切らざるべきか・・・。司祭が目の前に来る。ダナが僕の横で十字を切る。しかし僕は、それを真似ることはできなかった。頭を下げるのが精一杯であった。

 

 僕はきっと、神に心を閉ざしたのだろう。そして、なぜか確信する。「俺は異教徒なのだ。仏教が、いや、禅が、それこそが、生きる道なのではないか」。しかし、確信をすると同時に、あまりにも物を知らなさすぎることにも気づく。「禅こそが」と偉そうに言うが、禅とは何か、その知識は少ない。仏教にしろキリスト教にしろ、歴史的推移ぐらいは教養として持ちたいものだ。でなければ議論もできない。

 

 セレモニーが終わり、ダナが「祭壇の前まで行ってお祈りするのが良い」と言う。僕らには残念ながらその気がないので、彼女を待つことにした。シハストリア僧院の修道士の話をふたたび思い出す。

いわく

「祭壇の前でお祈りをすることは、祭壇に対して祈っているのではない。その先の世界に対して、そこにおわします神に対して祈りを捧げているのです」。

そういえば我々も、たとえば大仏様の前で手を合わせて拝むけれど、大仏様本人に対して拝んでいるわけではない。先祖の墓前でも、石そのものに対して拝んでいるわけではない。目の前にある仏像を、あるいは墓石を通して、「そこに見えない、精神的な、なにか別のもの」に拝んでいるのか・・・例えば死せる先人の英霊に・・・。つまるところ、同じなのだ。

 

【所在があるようで、ないようで】

 はじめは我々の行動につき合ってくれたダナだったが、どうしても「いつも行っているあの教会のセレモニーに行きたいから」と、一旦別れることになった。我々は行くあてもなく、ふたたびシンポジウムの会場に行く。朝の説明では、「午前のシンポジウムのあとで野外民俗博物館に行くバスツアーを出す」という話があったので、それを期待していたのだ。シンポジウムの会場は2部屋をぶち抜いた格好になっており、片方の部屋ではまじめに発表や討論が成されているが、もう片方の部屋の中央には大きなテーブルが置かれ、そこには、昨夜の打ち上げパーティよろしく、ケーキやコーヒー、そしてツイカまでが並んでいる。僕らは所在なく、そのテーブルのある部屋の片隅の椅子に座って、シンポジウムが終わるのを待つ。

昨夜のパーティでも出会った、偉くて優しいオジサン(これが館長なのではないかと思うが、不明である)が、資料をくれた。一つはシンポジウムの内容詳細。もう一つは、マラムレシュの観光ガイドである。英語とルーマニア語で書かれている。最近作られたものらしいが、良くできている。地図も詳しい。ルーマニアの観光事業もようやく盛んになってきたのかと思うと、なんだかうれしかった。

 

 ダナがシンポジウムの会場にやって来た。なんでも、目当てのセレモニーは終わっていたとかで、悪いことをした。「だけど、さっきの教会ではまだセレモニーをやっていたので、それに参加したから良いの」と言う。

 

シンポジウムは終わったものの、残念ながら野外博物館行きはなくなったとのこと。そのかわり、さきほど訪れたマラムレシュ博物館の一室で、女性イコン職人と男性木彫家のエキシビションがあるというので、それに付いていった。とくに女性の方は、シゲットでは有名な人らしい。英語もしゃべる。彼女の作ったイコンが展示され、ダナはそれを一つ一つ説明してくれる。天使ガブリエルとミカエル。聖人ゲオルゲ。三大聖人(ヨハネ、ゲオルグ、ステファン)の肖像、などなど。

 

【ランチはどこで?】

学会関係者はこれからホテルティサのレストランでランチという予定で、さきほどの館長が「君たちもぜひ」とすすめてくれる。これはこれで楽しそうだが、ダナが「お金がかかるかもしれないわ」と言う。

「それよりも、母が待っているのよ」と言うので、昨日に続き、今日もダナ家に招かれ、ミカとモナの歓待を受け、昼食。

昨日はお腹がパンクするくらいに食べ、失敗したので、今日は食べ過ぎない。そして夕方4時からも別のセレモニーがあるという。ダナは「疲れているんだけど、行かなくっちゃ」と腰を上げた。大したものだ。

 

【クリスマスのコンサートなのか、街の演芸大会なのか】

我々2人はSala Studioで行われるコンサートが気になる。それはホテルから近いところにある。会場前に立て看板があり、プログラムにも出ていたのでダナにも聞いてみたが、内容は良く分からないという。

「もしかすると、ただのバカ騒ぎかもしれない」と言われたが、実際行ってみると、近所の村の合唱団やら舞踏団やら、老人コーラスやら、昨日も聴いた聖歌隊やら、少年のバイオリンやら少女のバイオリンやら、楽しい。セレモニーの終わったダナが一旦我々のもとへやって来たが、30分ほどで「母が待っているから」と帰っていた。彼女も疲れているのだろう。コンサートのトリはシゲットの誇る(?)若き女性民謡歌手、そしてマラムレシュの誇る(?)これまた若き男性民謡歌手。どちらもうまいが、とくに男の美声は、同性の僕でも思わずうっとりするような歌声だ。

ユウコは「魅惑の美声歌手だね」と評した。

会場全体の空気が響いているような歌声である。マイクがなくても良いのではないか、とさえ思う。

 

どうでもいいが、最後の2人以外の出し物はなにかしら表彰を受けていた。明日のフェスティバルの前夜祭といったところなのだろうか。コンサートは17時に始まり、20時に終わった。盛りだくさんで楽しめた。

 

【シゲット・マルマツィエイはキリスト教の交差点か、融合点か】

 さて・・・

 シゲット・マルマツィエイには、2つのオルトドクス教会の他、カトリック教会、ロシア正教会、そして町で一番大きなルター派の教会(現在修復中)がある。言われて見ると違いがあることに気がつくというか、たとえばカトリック教会にはマリアの彫像があり、ロココ式というのかフランスを思わせる内装が印象的であった。ダナによると、カトリックと正教は十字の切り方が異なるのだそうだ。(正教:上下右左、カトリック:上下左右)。また、カトリックにおいて、キリストは「神のメッセンジャー」(というのは預言者Prophetとも違うのか? と、あとで思ったがもう遅い。)という位置づけであり、正教の三位一体(神、神の子、人の子)とは違う考えである。

 

 キリストが生まれたとき、東方から3人の王が来た。(あとから思うに、それは中国人と、アラブ人と、ペルシャ人なのではないかと思う。その後、いろんなところの教会でキリスト降臨(ベツレヘム)のジオラマを見たが、なんとなくそういう3人がいる。アフリカ人とかインド人の可能性もあるだろうが・・・)。木曜日はユダが裏切った日で、金曜日はキリストが処刑され、天に召された日。だから、木・金は慎ましい食事をする。クリスマスの前数週間も、肉類(卵、乳製品も含む)は一切取らないという。そして「すべては神の力で決まり、神の加護無しでは我々は平和に暮らせない」「戦争は全て、サタン(悪魔)の仕業なのよ」と、そこまで言われると、こちらも返す言葉がなく、ただただ「ふんふん」とうなずくのみだ。

 

 ダナの母、ミカは20代の頃に肝臓をやられて、甘い物や乳製品がダメになったという。酒は良いのか?

 

 ホテルのテレビでもヨーロッパの放送(これは衛星かケーブルか)が写る。あるドイツ語のチャンネルでセーラームーンをやっていた。だいぶ初期の物らしい。