1229日(火) クルージ 曇り

 

【クルージ発、ブダペスト行き】

 530起床。ホテルのバーで取れる朝食は6時半からやっているとのことで、それを慌ただしく食べ終え、7時にチェックアウト。

切符売り場では再度「ブダペストまで」と挑戦するが、やはり反応は昨夜と同じで、Episocopia Bihorまでしか買えなかった。まあ、どうにかなるだろう。

駅の構内には、2人の日本人旅行者らしき男性がいる。2人ともバックパックである。声をかけずにいたが、彼らは我々の直後に切符を買った。

 

【切符は2等、日本人4人】

 2等とはいえ、特急なので座席は決まっている。列車に乗り込むと、あとから続くようにさきほどの2人も同じコンパートメントに入ってきた。8人コンパートメントの半分が日本人になってしまった。

「失礼しまーす。いやいや、どうもどうも」と入ってきた2人は、名乗るより先に名刺をくれた。丸顔で少し太め、体格と同様、丸いおおらかな性格を感じさせ、なにかにつけて、ちょっと口先をすぼめて「はいはい」と、その口振りが印象的なマサさん。そして、長身でスマートな顔立ち、切れ者と思わせる話しぶりのクワさん。年齢はどちらも30過ぎと思われる。我々より2,3上といったところだ。

 

【ビジネスマンふたり旅?】

 聞けば、彼らは年末年始の休暇を少し長目にとって、2週間の旅程でヨーロッパを回るのだそうだ。

僕は思いだしたように「あぁ、年末休暇か・・・」とつぶやいた。

広島に住んでいるという2人は関西空港からアムステルダムに飛び、さらにイスタンブールへ飛び、列車でブカレストに行き、ちょっと街を一回りしたあと鉄道でブラショフへ移動し、そのまま田舎バスへ乗り継いでトランシルバニア山中のハンガリー人村へ向かったという。

「すごいスケジュールですね」と僕が驚くと、これまで旅程を説明してきたマサさんを遮るように、クワさんが答えた。

 

「すごいなんてもんじゃないですよ! むちゃくちゃですよ。

全部、マサが組んだ旅程なんだけど、僕、ヨーロッパは初めてなんですよ。

しかも、その村に着くまで、どこにも泊まってないんですよ」。

 

「え?」

 

と聞き返すと、今度はマサさんが「全部、夜行の移動なんです。トランシルバニアの村で初めてベッドで寝たんです」と答え、クワさんをからかうように笑った。

 

【アジア派vs東欧派。ビジネスマンふたり旅は忙しい】

クワさんはアジア派で、ネパール、インド、パキスタンなど、我々の行ったことのない土地の旅行経験があり、これはこれで興味深いが、ヨーロッパは初めてなのだという。

 

「その初めてのヨーロッパで、寝不足で、第一泊目がいきなりルーマニアですよ。

しかも名前の知らない寒村で。夜中まで田舎バスに揺られて、山奥の村に連れられて。

着いたの夜中1時。言葉はわからんし。もう、わけわからん」

 

と、あきれるようにマサさんを見る。

 

いっぽうのマサさんは東欧派、とくにハンガリーが好きだという。マサさん本人もマジャール語を話せるらしい。それで話題を切符の件に変えると、

「そうなんです。クルージの駅はCHR(ルーマニア国鉄)の管轄ですから、ビホールまでしか買えないんです。その先はMAV(ハンガリー国鉄)の管轄ですからね。でも、ビホールの駅で切符を買い直すだけのことですから簡単ですよ」。

思いもかけず、頼りになる道連れができた。

 

 ブダペストのあとは、ウィーン、プラハと回って、日本には1月の初旬に帰ってしまう。我々からするとずいぶんと慌ただしい予定だが、当のクワさんも、

「まったくですよ。それも全部、マサが悪い。だからアジアにしようって言うたやないか」。

京都出身だというクワさんは京都弁が美しい。

 

ヨーロッパに行くとなれば、まずはフランスやドイツの美しい町並み、お城、自然などを思い浮かべたいところだが、移動・移動で、街らしい街を見たのは「ブカレストが初めてだった」と、クワさんはうんざりしたように語る。

 

僕が「ブカレストなんか、見るとこ無いと思いませんか?」と言うと、クワさん、語気を強め、さらに目に力も込めて、

「そうでしょう?! マサに言ってやってくださいよ。民族博物館に行こうなんつって、なにもないんだもの」。

僕、「でしょう? ほら、ブカレストなんか、なにもないんだよ、わかった?」とユウコに言う。

マサさん、「いやぁ、楽しかったじゃん。ただでワイン飲ましてくれたしさ」。

クワさん、「楽しくなんかないよ。だいたい、初めてのヨーロッパで、まともに歩いた初めての街がブカレストですよ。恐かったなぁ」。

マサさん、「きみ、恐がりすぎなんよ」。

 

【まだまだ続く、ビジネスマンふたり旅】

 彼らの話は尽きない。ハンガリーに向かってルーマニアの大地を走る列車のコンパートメントの中で、日本語が飛び交う。

クワさん、「バーで飲んでいてもね、日本のクセが出ちゃって、ついついワリカンにしたがるんですよね、お互い」

マサさん、「そうなんですよ。店を出るとき

『いくらだった?』

『全部で10000レイ』

『じゃあ半分ね、はい5000』って、

50円だよ、おい』って感じですよね」。

 

言われて初めて、日本人の金銭感覚に気づく。50円ではお菓子も買えない。5000レイならバーで一杯飲める。つまみも付いてくる。彼の話はおもしろおかしいが、一方で、僕は自分と彼らとの金銭感覚のギャップがおかしかった。

 

 クワさん、「でも、イスタンブールは面白かったなあ、数時間しかいませんでしたが」

僕、「数時間! もったいないですね。我々は10日居ましたよ」

クワさん、「良いなあ、やっぱり旅はそうでないとね」

「絨毯、売られませんでした?」と僕が聞くと、「あー、土産屋か。そうでもなかったですよ、すごいんですか?」と2人はきょとんとして答える。逆にこちらも目をぱちくりとしてしまった。

 

だんだん、僕のほうが熱くなってくる。

 

「トルコで、というかイスタンブールではとくに、現地の一般人に話しかけられても、話の行き着くところはぜったい絨毯なんですよね。

曰く『親戚が絨毯屋をやっていて』

『じつは友人が絨毯屋をやっていて』。

しかも必ず、その店は『近所に』ある」。

 

爆笑。

 

するとユウコが、「それはアナタが、そういうところをうろついているからでしょ」。

クワさん、「でも、それが彼らの商魂なんでしょう。たいしたもんですよ」。

僕も応じて、「いやぁ、初めて行ったときは、結局2枚も買ってしまいましたから、僕も弱いです」。

 

するとマサさんが「そうは言っても、いや実は私もね、トルコ人に知り合いがいて、ブダペストで商売をやっていて・・・」と、胸のポケットから名刺を出す仕草。再び笑い。

僕も負けずに「いやー、黙ってましたけど、僕もプラハにガラス商の知り合いがいましてね、ショットグラスが入ってるんですよねぇ。おひとつどうです?」と、立ち上がり、ザックに手を伸ばす。さらに笑い。このような笑いも久しぶりだ。

 

【語る間に列車は国境、そして】

 1007分にオラデア着。そして1015分にルーマニア側国境のEpiscopia Bihorに着いた。

「切符を買いに行かなくても良いんですか?」と僕がマサさんに尋ねると、彼はこう答えた。

「ルールとしてはそうなんですが、このまま乗っていったほうが良いでしょう。列車が出てしまうかもしれない。それにね、無券乗車で罰金、というか袖の下を払った方が安上がりなんですよ」。

僕は「なるほど」とうなずいた。

 

出国審査は呆気なく終わり、1040分には列車が再び動き出した。そしてすぐに検札が来た。CFRMAVの車掌が1人ずつ。

「ルーマニア語かマジャール語か」と聞いてくるので、マサさんがマジャール語で対応する。

ビホールからハンガリー側国境Biharkesteszまで、正規では1137000レイと、距離からすると法外だが、マサさんは、「我々は支払いに充分なルーマニア通貨を持っていない」と頼み込み、150000レイになった。集金された金は、肩から下げる業務用のショルダーバックではなく、オヤジの懐に入ってしまった。

 

 11時、ハンガリー側国境Biharkesteszに着く。ここの入国審査も呆気ない上に、入国スタンプが押されなかった。かえって屈辱的な気分である。

時計を1時間戻して、午前10時。ふたたび列車が動き出し、10分ほどしたところで、国境から改めて乗り込んできた車掌が検札にやってきた。

 

マサさんの事前説明によれば、ここでも「無券乗車」の罰金、つまり袖の下によって、格安で列車に乗っていられるはずであった。

ところが、車掌とマサさんとの交渉はすんなり終わるどころか、車掌は顔を赤くしてすごい剣幕である。マサさんが困った顔をして我々に説明する。

「さっき150000レイ払ったでしょう? あれも袖の下だから、当然チケットがないわけですよね。彼はそれを真に受けて、『ルーマニアから乗ってきたんだから、国境越え代金含めて128ドルだ』って言うんですよ。しかもハンガリーの通貨フォリントで払えってんですよ。持ってないですよね? 我々ももちろん持ってません。この車掌、融通が利かないなあ」。

 

熱い交渉に一歩も引かずにマジャール語でやり合うマサさんの語学力も大したものだが、僕が感心したところで話は進展しない。

車掌は一旦引っ込むと、5分ほどして再びやって来て、マサさんに「来い」という。そして、なかなか戻ってこない。やがてクワさんも「様子を見てきます」と席を立つ。我々も気になるが、コンパートメントには我々のほか、オバアチャンが1人乗っている。空っぽにしては荷物が心配だが、事情を察したのか、オバアチャンは、ユウコを指しながら、

「この娘と一緒に荷物を見ているから、行っておいで」というようなことを言って、僕には「行け、行け」と促す。

 

2つ先のコンパートメントで、そこに座っていたらしい女性を交えて議論が続いていた。彼女は英語を話せるらしい。それで、マサさんと車掌との間の通訳となっているのだった。

 

 長い交渉の結果、119ドルのUSD払いで決着が付いた。お金を払って車掌がいなくなったあと、マサさんが「旅慣れたお2人にはまことに面目ないのですが・・・」と、まことに済まないという表情で我々に弁明する。

 

「袖の下だったら110ドル程度で済むはずだったんですよ。それが、あの車掌はこういう話を知らないのか、それとも真面目な国鉄職員なのか・・・融通が利かなかったですねえ。最後もドル払いというところで難儀しました」。

ユウコが慰めるように言う。「どうせブダペストのケレチ駅には両替所があるんだからねぇ。それに『オヤジの小遣い』としての金だったら、むしろドルの方が良いでしょうに」。もとのコンパートメントに戻り、ため息とともに座席に座る。

 

【旅は食事、食事といえば日本食か】

「ブダペストに着いたあとの予定は、何かありますか?」とマサさんが尋ねる。なんでも、ブダペストに留学中の後輩が迎えに来ることになっているのだそうだ。

「よろしかったら、一緒に日本食レストランに行きませんか? 良い店を知ってますから」。

 

我々は、旅に出てからこのかた、日本食を一切口にしていない。ユウコは梅干しを持参しているが、それすら手を付けていない。本音を言えば、できることなら日本食レストランには行きたくなかった。これも「旅の自己満足」の1つと言えようが、旅の楽しみと言えば「現地の食文化に触れる」ことあり、「わざわざ外国に来て、ありがたそうに、さほどうまくない、しかし値段だけは高い(であろう)日本食を食べる行為」は、むしろ否定されるべきものだ。そして、日本を離れて5ヶ月が過ぎる我々としては、まさに「今さら」な行為といえる。

 

しかしそのいっぽうで、「そうは言っても」という思いがよぎる。ひとつ、いま、目の前に座る2人に対して、我々は好意を抱いている。旅の道連れとして助けてくれた部分もある。もう少し話もしたい。それに、ブダペストには日本人の迎えがあるという。彼はこちらに住んで半年以上になるのだろう。だとすれば、いろいろと有用な話も聞けるだろうし、思わぬ情報も手に入るかもしれない。いや、それ以上に、僕には話し相手ができた嬉しさがあった。

 

そして日本食である。マサさんにしろ、お迎えの後輩にしろ、ブダペストのことをよく知っている。「きっとハズレはない」。そう思った。彼も「べらぼうに高い店には行きませんから」と笑った。むしろこれを機会に、ひとつつき合ってみても良いではないか。我々は申し出を受けた。「ですが、我々は宿探しをしなければなりません」「ならば、駅で別れて、それで再び待ち合わせることにしましょう」。

 

「そうだ、日本の雑誌を読みますか?」と、思い出したようにクワさんが言った。その申し出は、我々には嬉しかった。遠慮なく、彼らが「暇つぶし」に持ってきた雑誌を読ませてもらう。夢中で読む。それはSpaBigComicOriginalであった。

 

【出国スタンプの印象深さ】

それにしても、「国境でスタンプを押されないのは初めてだね」とユウコに言うと、彼らは再び驚いた。彼らは、イスタンブールからブカレストの列車は寝台特急だったこともあるのか、パスポートは車掌に預けたきりで、国境越えで煩わされることはほとんど無かったらしい。「あぁ、そういえば夜中に起こされたなあ」程度のものだったという。

彼らは、我々が語る阿拉山口やバザルガンでの国境越えの顛末を、興味深く聞いてくれた。話がひととおり終わると、「国境を越えることを楽しみとするなら、徒歩で越えるというのはどうですか」とマサさんが言う。ハンガリーのコマロムという街は、川を挟んでスロヴァキアのコマルノという街と隣接しており、もともとは一国の一都市だったので、歩いて越えるには簡単で、しかも面白いのではないかと我々に勧めた。

 

(ハンガリー編へ続く)