1218日(金) ブラショフ 曇り

 

 ルーマニアに来ていらい、安くて美味しいワインをたくさん飲んでいる。

ワインと言えば、マリアさんに会った初日に僕の誕生日の話をしたら、「マア! だったらその日はワインを1本プレゼントするわ!」と無邪気に笑っていたものだが、「けっきょく何もしてくれなかったね」とユウコが言う。「まあ、単なるお愛想だったんだろうね」と、僕はあまり気にしない。

 

 どうでもいいが、クリスマスにあやかっているのか、ブラショフの中央広場では携帯電話のキャンペーンをやっている。そこではステレオ大音響でアメリカ人の熱いバラードの一節のみが延々繰り返しかかっており、すっかり耳についてしまった。それが、復活バンド「エアロスミス」が歌う、今冬大ヒットの映画「ハルマゲドン」のテーマだったとは、日本に帰ってから知った。ついでに言っておくと、たしか「タイタニック」のテーマソングである、こちらは女性歌手の歌うバラードソングも、あちこちで耳にする。なかにはテープが伸びてしまって、ひどく音程が不安定で間抜けな歌が聞こえることもある。

 

【国際特急に乗るのは良いが】

 今日はシギショアラに日帰り観光に行く。昨日、マリアさんがアパートに顔を出したので今日の予定を告げたところ、「1029分の特急(RRapid)の車掌は知り合いだから、切符は買わなくていい。駅で教えてあげるから」と言われ、約束通り駅の4番ホームで彼女と落ちあう。話はこうだ。

「正規に切符を購入すれば137,200ほどかかるのだが、車掌に直接支払えば120,000レイで済む」。

「無券乗車は違法ではないのか?」と我々は心配するが、彼女は、「この列車の車掌は私の知り合いなのよ。乗る直前に、彼に掛け合ってあげるから心配しないで」と、無邪気な笑顔で答える。

言われるままに列車を待つ。

ほどなく現れた列車はブカレスト始発ミュンヘン行きの豪華国際特急Pannonia号だ。さすが先進国ドイツ国鉄の車両だけあって、車両は立派で、しかも綺麗である。マリアさんが車掌を見つけ、少し話をしたあとで我々に「さあ、乗って!」と声をかける。よく分からないまま、乗り込む。

中年夫婦が乗った8人乗りコンパートメントに相席する。車掌はまだ現れない。僕は10,000レイ札を4枚、右手に隠し持ちながら、少々落ち着かないでいた。「これは、明らかに無券乗車なのではないだろうか」。

 

車掌が検札に現れた。中年夫婦の検札後、我々を見る。僕は何と言って良いやらわからず、「あのー、チケットは無いので」と日本語で口ごもる。と、車掌は「あとで来る」ようなことを告げ、去ってしまった。全て事情は察しているかのようだ。しばらくすると再び車掌が現れ「ちょっと来い」と、僕を誰もいないデッキへ呼び出した。周囲を気にしながら「120,000だよ」と小声でつぶやく。「じゃ、これ2人分」と、僕は握っていた札を渡す。これでおしまい。

 

 要するに無券乗車なのである。本来ならば無券乗車は違法行為である。我々は法の下で「罰金」を支払わなければならない。しかし、今や国情不安定なこの国においては、その「罰金」が鉄道勤務者への「小遣い」になっているのだ。この車掌は本当にマリアさんと知り合いなのか、この「小遣い稼ぎ」が車掌業界の通例なのか、僕には知る由もない。が、明らかなのは、マリアさんが我々旅行者に勧める列車は全て特急であり、そのほとんどは国際列車なのだった。

 

 シギショアラには1210分に到着した。ブラショフからノンストップだったので、あっという間だが、少々物足りないような気もする。

 

【シギショアラは中世の町並みの規模を今でも残す町】

 「中世の町並みの規模を今でも残す」と言われ、「most lovely place in Europe」とマリアさんが評するシギショアラの旧市街は丘の上にあり、少し離れた駅から見ると、丘の上の町並みに教会の塔が立ち並ぶのが印象的だが、逆にいえば小さな町だ。

坂を上って城門をくぐり、教会、時計塔、今はレストランとなっているヴラド=テペシュ公の生家などと見て、一回りすると、もうおしまい。

城門の外の賑やかな通りに面した、ロンプラにも載っているレストランPerlaで、ピザとスパゲティの昼食を取る。Reginビールがうまい。

食後、また少し街を歩いて、1453分発の特急(R)に間に合った。

 

若いカップルの座るコンパートメントに相席する。暖房がぽかぽかと心地よく、すぐにうとうとと眠ってしまった。

1630分にブラショフに到着。

列車を降りてから、「あのカップル、我々を見て、なんだか盛り上がっていたよ」とユウコが言う。

「なんだろう、東洋人が珍しかったのかな」

「うーん、なんかねえ『列車の中で呑気に寝ちまうなんて』『ロシアじゃ今頃、彼らの荷物はなくなっているわね』とか言って、笑っていたようなんだよね」。

たしかに我々は無防備に眠ってしまったのだが、以前ルーマニアに来たとき、ローカルバスの中でやはりうたた寝をしていて、居合わせた少年に笑われたことがある。船を漕ぐようにうたた寝をするという行為そのものが、彼らにとっては珍しいのではあるまいか。それを言うと、ユウコも笑った。

「今日は2人して漕いでいたもんね」。

 

 ブラショフの駅で、再びマリアさんに会った。我々はブラショフ滞在後、ブコヴィナの僧院巡りに行こうと思っている。そこではマリアさんの知り合いが宿を提供してくれるそうなので、その案に乗るつもりである。そのことはすでに彼女に伝えてある。

今日、彼女が言うには「僧院は月曜日は休みなのよ。だから、日曜日に移動しても意味がないわよ。だいいち、日曜日は列車が混むから、移動は月曜日になさい」と言う。さらに「クリスマスはどこで過ごすの? ああ、マラムレシュへ行くのね。あっちのほうはどうか知らないけど、ブコヴィナでも大きなお祭りがあるのよ。みんなで踊ったり歌ったり。楽しいわ!」

そう言われると心が揺らぐ。シゲットのクリスマスと、どっちが良いか。マリアは「シゲットのことは、知らない」と言う。ブコヴィナでは彼女の知り合いの家に厄介になるのであろう。ということは、ルーマニア人家族とクリスマスを過ごすのは確実だ。これは楽しくないはずがない。いっぽう、シゲットに行けば、ホテル暮らしは免れまい。それはちっと寂しい。しかしシゲットに行かなければ、この旅がスチャラカパーになってしまう。

 

 「ところで、今日は日本人と韓国人の旅行者をゲットしたわ! アパートで会えるわよ」と、お客さんが増えた彼女はゴキゲンである。ゴキゲンついでに、「ルーマニアのワインは美味いですよね。僕は毎日飲んでますよ」と言うと、彼女はうれしそうに「そりゃあ、そうよ! 何飲んだ? ムルファトラルね。白ならあれが美味しいわよねえ。赤はね、あれが美味しいわよ」。と教えられた名前は長くて発音もしづらく覚えられない。「Many Many Wine, Many Many コドモ」と、ユウコを肘でこづいて、いたずらっぽく笑う。「あなたたち、今度は子どもを2人連れていらっしゃい。Special Discountしてあげるから! 次に来たら2回目だから20%オフ。3回目には40%オフ。4回目は605回目は806回目はタダ!」

 

まさかね。

 

 アパートに戻るとまだ誰も帰っていない。ユウコはキッチンで夕飯の支度にかかる。僕はテーブルにつき、アパートに置いてある時刻表を眺める。ルーマニア国鉄の時刻表は、以前はなかなか手に入らないと聞いていたが、日本の時刻表に負けずしっかりした内容で少々驚いた。良い機会なので、ブダペストに行くための時刻を調べてみる。

 

IC20 CLUJ0745 ORADEA1006 → BUDAPEST KELETI(時刻未記入)

R362 -          ORADEA1534 → BUDAPEST NYUGATI(時刻未記入)

 

【マリアの宿に新客あり】

 ユウコがガス台の前からキッチンの扉を振り向き、「あ、こんにちは」と声をかけた。僕が振り向くと、東洋人が1人入ってきた。

黒髪、小さなメガネ、面長の顔、長身でスマートな体格、口を少しすぼめ、飄々とした表情は、タシュクルガンで「貴方は香港から来た方ですか?」と聞いて僕を笑われた香港の若者を思い起こさせた。彼は「Hi」と挨拶する。うしろからもう1人、「どうも」と続けて入ってきた。

彼は中背、髪は短く刈り上げ、角張った顔、広い額、細く鋭い目つき。彼らこそ、マリアさんが「今日ゲットした」2人の若者なのである。

 

最初に入ってきたのが韓国人のジョン君、あとに続いた青年はNと名乗った。頃合いも良いので「まあ飯でも」ということになり、ジョン君が「じゃあ、僕が米を炊こう。市場で買ってきたんだ」と言う。Nさんは1リットルビールやつまみを提供してくれる。結果、今日の夕食は狭いテーブルを4人で囲み、白米ご飯、チキンシチュー、サラダ、ソーセージ、タマゴ炒め、ビール、ワイン白、赤。

 

 Nさんは伊勢の出身とのことで、関西弁の楽しい人である。彼はジョン君を気づかってか我々と話すときも極力英語を使う。高校を出て7年になるという彼は(だから我々より少し若いのだが)、すでにあちこち旅をしているようである。ベオグラードからルーマニアに来たのだが、「南下したいんですけど、ブルガリアのビザを取るのがめんどくさいでしょう。だからもう一度ベオグラードに戻って、それからマケドニアを経てギリシアに行こうかと思ってるんですよ」。

サラエヴォも見てきたという。内戦が終わって間もないその街には、最近の空爆による爆撃のあとがそこかしこに残っているという。

「すごいもんですよ」と言う。阪神大震災ツアーの話をちょっと思い出したが、黙っていた。

 

 いっぽうのジョン君は韓国の大学院生なのだが、これまた旅の経験が豊富で、日本にも2回行ったことがあるという。

「証拠を見せてあげるよ。ほら」

と差し出されたパスポートには、たしかに日本のスタンプが押されている。しかしそれを見た瞬間、我々3人は笑い出してしまった。

「なるほど『上陸許可』とはね。我々のスタンプは『出国・入国』だけですからねえ。しかし上陸許可ってのも、変な話ですね」。

 

 「昨日、アメリカがバグダッドに空爆したの、知ってますか」というNさんの話に、我々は「えっ?」と驚いた。ジョン君が「そしてたぶん、今日もやっているよ」と苦々しくフォローする。

「イラクへの制裁措置らしいんですけどね。イランにも飛び火する可能性がありますよ」と、再びNさん。我々がイランにいた頃は平和だったが・・・もっとも、イラク近辺には行ってないのだが。「アメリカもひどいよなあ」とジョン君。

「でもこれでは国際的な支持は得られないよ。イスラムが団結すれば、第三次世界大戦だな」。なかば冗談半分というようにNさんが笑う。それに対して、ジョン君は真顔で応える。

「そうなったら、韓国や日本も無関心ではいられないよ。北の問題もあるし。どうする?」

「そしたら俺はオーストラリアに逃げるよ。あそこは世界と無縁な国だ」と言って、Nさんはまた笑った。

 

 彼ら2人はブカレストで会い、ブラショフまで一緒の列車で来たところでマリアさんに捕まったらしい。

「このアパートで、110ドルというのは、ちょっと高いよねえ、どう思います?」とNさんがぼやく。しかし我々が答える前に、「だけどベオグラードはもっとひどかったですよ。30ドル出して、部屋にストーブがないの。凍死するかと思いました」と続け、また笑った。

 

 韓国には徴兵制度がある。ジョン君も22ヶ月の兵役についていたという。北との国境警備にあたっていたこともあるそうで、これも寒くてたいそうきつい仕事だったそうな。

「いやあ、怖いんだよね。夜なんか不気味で。そうそう、誰も触ってないのに突然ろうそくの火が消えたりしてさ・・・」と、怪談話で我々を笑わせてくれる。

ところで、韓国人はブルガリアもルーマニアもビザが要らないのだそうで、ちょっとうらやましい。我々がトルコを通ってきたという話をすると「オリンポスには行った? 地中海岸の、アンタルヤに近いんだけど。すばらしいよ。15ドルでなんでもできるんだ。食事はついているし、遊び場はいっぱいあるし。バックパッカーパラダイスだよ」。

 4人で盛り上がって夜11時まで過ごした。

 Nさんは遠慮のない方で、今日ユウコが作ったチキンシチューも「うまいうまい」とばくばく食べてくれたが、それがかえって我々には気楽で良い。今日の話では、これまでの彼の旅行はヨーロッパ主体のようで、アジアを通ってきた我々にはこれも新鮮である。