1219日(土)ブラショフ 曇り時々氷霧

 

 朝起きて窓の外を見ると、雪というにはあまりにも細かい氷の粒が舞っている。

 

 なんとなく、移動したい気分だ。先を急ぎたい自分がいる。しかし、今日の夜の分まで金は払ってしまった。それに、どこへ行くという具体的な考えもない。だいいち、ブラショフでやるべきことはまだまだある。

 それにしても最近、ふと自分がどこにいるのか分からなくなることがある。雪に囲まれた生活も、真冬の日々も、すでに日常になっている。自分としても興味深いが、日中、雪が融けるくらいになると、もはや「暖かい」と感じているのだ。

 

【ブラショフ市内見物】

 それで、今日はブラショフ観光にあてる。民俗衣装の展示がカワイイ民俗博物館、丘の上にあるブラショフ城跡は、いまは高級レストランとおしゃれなホテルのCOMPLEXになっている。ここからは長めが素晴らしいはずなのだが、霧のため見えず。綺麗なレストランのトイレだけ拝借する。宿泊客も何人か目にするが、なかなかリッチな服装をしており、安っぽいコートをかれこれ2ヶ月も着続けている身としては、なんとなく恐縮してしまう。

 

 丘を降り、再び街へ行く。マリアさんが良く口にする「黒い塔」「白い塔」は、これまたブラショフ観光のコースになるのだが、やはり霧のためどれが何なのかよく分からないまま歩く。初日に立ち寄ったゴシック建築の荘厳な黒い教会を見る。内部には大きなパイプオルガンがあって「なるほど、あれはコンサートを聴く価値があるなあ」と思わせる。イスラム風カーペットがいくつも吊られ、展示会のようになっていた。そして入場料を取られた。この黒い教会はルター派だが、プロテスタントとしてはトランシルヴァニア初の教会らしい。中央広場の素敵なレストランで昼食。ビール、サルマーレ、豚スープ。食後、ウェイトレスのオバチャンに「パパナッシュとカプチーノはいかが?」と勧められた。一度は断ったものの、誘われると気になる単純な我々としては、食べてみないときが済まない。そして、これがうまい!!

 レストランGustariは値段もリーズナブルでたいへんよろしい。

 

 広場に近い歴史博物館に行く。ここの展示物には英語の説明がなく、ドイツ語のみで残念だが、19世紀から20世紀の地図があり、これが面白い。第一次大戦当時のルーマニアの版図は、もう少し広く、モルドバのキシニョフ、ウクライナのチェルノフツイ、そしてベオグラードまでも領内に含まれている。しかし、中世の地図を見ると、ルーマニアの王国といえばワラキアとモルダヴィアのことで、カルパチア山脈を挟んでトランシルヴァニア以北、以西はすべてハンガリー領であった。見事に山脈がかっちりと国境線を成している。そして、南の国境線はドナウ川がかっちりと担っており、その南はブルガリアのトラキア王国だ。それにしても中世の地図でさえ、トランシルヴァニアからマラムレシュは「深い山々に囲まれて・・・」という描かれ方をされており、これではゲルマン人もスラブ人も通り過ぎるわけだと思う。すなわち、たとえば黒海からヨーロッパ中枢に向かうにしても、ドナウ川をさかのぼればあっという間にベオグラードからブダペスト、ウィーンまで到達できる。「こりゃあ、簡単だよ」と1人感慨深げにつぶやく。

 

ニコライ教会にも行ってみる。こちらはルーマニア正教の教会で、フレスコ画が美しい。正教の教会はお金を取らない。中は荘厳である。圧倒される雰囲気を感じる。そしてお祈り時間と鉢合うと、かなり肩身が狭い。ところで、ルーマニア正教のフレスコ画は、キリストの生涯についてもわりかし美しく描かれている。これを見る限り、悲劇的ではない。もっとも説法を聞けば印象も変わるだろうが。「いや、意外と呑気な生活をしていたからかもよ」とユウコが言った。

 

 マリアさんに教えられたインターネットカフェに行ってみたが、今日は土曜日のため午後は休み。月曜日に改めて来ることにしよう。

 

 街を歩いていると人々から「チャイナ」だの「キーノ」だのと言われ、面白くない。「でも、最初の日の夜に『China, go home』って言われたよ」とユウコが言う。僕は聞いていなかったが、そう言うときは「ヌー ジャポネーゼ」と言ってやらねばならない。

 

【便りがないのは良い便り】

 「便りがないのは良い便り」とはよくいったもので、最近、我々は手紙をゆっくり書く余裕がない。良く言えば充実した、悪く言えばせわしない生活を送っている。若干慌ただしいぐらいだが、それができるということは、それだけ体調が良いという意味でもある。そして旅が順調であるとも言える。

 

今朝、朝食時にNさんとも話をしたが、ヨーロッパは気楽なのだ。彼の今回の旅は、ロシアからスタートしたのだという。シベリア鉄道沿いに西へ進んでヨーロッパにやって来た。

 

「ロシアを出て、エストニアに入ったときに、英語が通じて驚きましたねえ。『別の国だ!』って思いましたよ。ロシアでは英語通じないでしょう。でも、それ以降は物足りないぐらいですね。ヨーロッパは英語が通じますからねえ。宿も安いし」。

 

 バルト三国がとても良かったと彼は言う。

「とくに、カウナスとタリンが良いですね。飽きないですよ。ビリニュスとリガについては、『まあ、こんなもんかな』というところですね。ポーランドですか? ワルシャワは、とくにないですね。治安も悪いし」。

「イルクーツクは感動しますよ。あぁ、今頃だったらバイカル湖は結氷しているんじゃないですかね。いいですねー」。

目指す土地の話を聞くと、元気が出てくる。

 

 長期旅行者の多くは物価の高い国を嫌う傾向があるが、彼に関してはそういう判断で旅程を決めるというポリシーは全くないようで、この辺りも共感が持てる。たしかトルコのギョレメで会った中年旅行者に、「中央アジアから来たんですか。金持ちですね」と言われてムカッ腹が立ったことがある。その男はインド・パキスタン・イラン・トルコと、まさにアジア横断の王道を行くルートで旅をしてきたそうだが、そんなあんたに「金持ち」と言われる筋合いはない。だいたい、良い歳して1人で貧乏旅行なんて、さみしくないか? と言いたい気持ちを抑えていたものだ。

 

Nさんは北欧こそ「物価が高くて参りました。アイスランドにも行ったんですけどね」と、アイスランドまでわざわざ飛んで行ったのもすごいことだが、ロシアにしても「僕は好きですよ」と言う。僕は「ロシア語に抵抗なくて、自然も楽しみたいなら、ぜひキルギスタンに行って欲しいですね」と彼に勧めた。「なにせ英語は壊滅的に通じないですから」。

Nさんが笑った。

 

「かいめつてき! エエ表現やなあ」。

 

キッチンの棚の一角には古い雑誌が無造作に置かれているが、その中にちょっと古いが「地球の歩き方 ルーマニア」の韓国語版がある。僕の手元にある歩き方は中欧ダイジェスト版のため、ルーマニア編の一部をジョン君に訳してもらった。

 

「 シゲット・マルマツィエイ(City code:995

  Hotel Tisa (☆) Tel 12645 (W33ドル)

  Hotel Marmatiei Tel 12645(あれ、同じ番号だぞ?)

  Mini Hostel Magura str. Iulia Maniu 18ドル

 マラムレシュでは毎週月曜日に動物市が開かれる。とくにボグダン・ヴォーダの市は活気がある。シゲットでは毎月第一月曜のみ、市が開かれる。」