1221日(月) ブラショフ 晴れ

 

【旅人は出会い、そして別れ、それぞれの道を行く】

 払暁、まだ暗いうちから台所で人がごそごそとしている音で目を覚ました。おそらくNさんであろう。一言声を掛けようかと思うが、寝ぼけまなこではなんとなく失礼かと思い、けっきょく部屋から出なかった。餞別でもあれば顔を出しやすいが・・・。

 アパートの扉がバタンと閉まり、彼が去ったあとでハタと気がついた。

 

トルコのテレホンカードがあったではないか。

 

 さて、我々も移動日である。はじめにいたギターのアメリカ人は、一昨日去った。Nさんは今朝早く出ていった。我々が朝食を食べていると、ジョン君が「じゃあ」と挨拶に来た。彼はシギショアラに立ち寄ったあと、夜行でブダペストに向かうという。皆、それぞれに散って行く。

 

 それはそうと、Nさんの言うとおり、このアパートに9人というのはさすがに詰め込みすぎである。台所が日に日に汚くなっていく。マリアさんは毎日掃除をしているのかしら。

 

 今日はよい天気だ。最近、移動日によく晴れるので、少々恨めしい。もっとも、雨雪の中で移動するというのは、陰鬱で気持ちの良いものではないが・・・。

 

【ブラショフ最後の昼食】

 我々の列車は午後3時なので、余裕がある。午前中はインターネットカフェに行く。1時間利用したところ、料金は今までの中で最安値(1.5ドル)であった。その後、ハガキを出しに郵便局へ行き、ゆっくり昼食を食べて出発、という予定である。僕もユウコも「あのパパナッシュをもう一度食べたい」という欲があるので、こないだのレストランに行くつもりでいた。

 

 ところが郵便局へ行って驚いた。ごった返している。押すな押すなの大混雑である。誰がどこの窓口に並んでいるかも定かでない。みんな、クリスマスカードを出そうとしているのだ。とくに国際窓口は長蛇の列ができていた。列に並んで封筒を買って、宛名を書いて、別の列に並んで切手を買って、けっきょく1時間もかかってしまった。

 

 列車の時間が迫っているが、あのパパナッシュはなんとしても食べたい。そこで、ダッシュでレストランへ行く。ヨーロッパのレストランでは急ぎは禁物で、だからゆったり気分で食べたいのはやまやまなのだが、我々は猛然と昼食を食べ、そしてデザートのパパナッシュ。

「おぉ、これこれ!」やはり、うまいものは何度食べてもうまい。

 

 「部屋に荷物を置いておいたのは失敗だったかな」と思うが、悔やんでも今さらだ。いつものバスでアパートへ戻り、部屋に入ると、もう2時だ。荷物はそのまま置いてあったが、部屋は片づけられ、シーツも新しいものに取り替えられていた。マリア、仕事が早い。昨日から泊まっている日本人カップルがキッチンでのんびりしていた。今日は月曜日でどこも休みだから、でかけないのだろうか。他の客はいない。女は椅子に座り、タバコをプカプカ吸いながら、雑誌を眺めている。男は調理台の前に立ち、スパゲティをゆでている。人は良さそうだが、押しの弱そうなヤサ男と、強気な顔立ちの女。なんとなく妙な取り合わせである。彼らとは昨夜顔を合わせて、ちょっと挨拶をしただけであり、今も我々は急いでいるので、挨拶もそこそこに済ませ、マリアに言われたとおり台所の棚に鍵を置き、アパートを出る。男は少し寂しそうであった。我々としても、時間があればお互い旅の話をしたいものだが、致し方ない。時間がないのだから。

 

ザックを背負い、小走りで駅へと走る。路上は凍結しており、子ども達はそり滑りを楽しんでいるが、我々には「スリップ注意!」の危険な道だ。

 

【ブラショフを発つ。目指すはブコヴィナの僧院群】

14時半、駅のホールでマリアと会う。彼女の口からは「昨日からストライキになっている」「切符の値段が上がってしまった」と良い話がない。ホールには人がごった返しているが、「これは黒海方面行きの特急が遅れているせいだ」とのことだ。「あなた達の列車が遅れなければいいけど、今のところアナウンスがないわね」と言う。それでも切符を買い、ホームに行くと既に列車は入線していた。「アナウンスがないから、まだ来てないわよ」とマリアは言ったが、彼女の言うとおりホールで呑気に待っていたら、列車に乗り遅れていたことであろう。まさか、彼女がそれを狙っていたわけでもあるまいが・・・。

 マリアからのお別れのキスを頂き、1458分発の予定が5分ほど遅れて出発。目指すロマンには今夜943分の到着予定である。

 

 さて、ロマンに行く目的は、世界遺産にも指定されているブコヴィナの僧院群の見物にあるわけだが、マリアの熱心な説明とメモ書きによると、僧院群は大きく2つのグループに分かれている。まず、ファーストグループの僧院として、ロマン、ネアムツ、セク、シハストリア、ヴァラテックの5つが挙げられる。これらは内装が素晴らしく美しい。宿泊予定であるマリアの親戚の家からは比較的近郊にあり、すべてを回ると約220kmの行程になる。

そしてセカンドグループとして、ヴォロネッツ、スチェヴィツァ、モルドヴィツァ、アルボレ、フモルの5つが挙げられる。「セカンド」とはいえ、世界的にはこちらのほうが有名で、さらに、セカンドグループの特徴は、教会の外壁を埋め尽くすフレスコ画にある。とくにヴォロネッツのフレスコ画はこの中でも最大規模だという。ロマンからは少々離れた地域にあるが、日帰りで回ることは充分可能である。5つの僧院見物に、スチャヴァの町を観光することも加えて、約330kmの行程だという。このほか、ロマンからは2時間でヤシの町まで行くことができ、こちらの観光も可能である。

 

 「2等は人の出入りも多いし、混んでいるし、物乞いは多いし、物騒だから、多少高くても1等のほうがいいわよ」とマリアに強く勧められ、つい1等の席を取ってしまった。マリアのメモを手にしつつ、今後の予定を考える。

 

【僧院ばかり、というのも・・・】

「ファーストグループとセカンドグループは趣向が違うから、ぜひ両方とも見に行くと良い」とマリアは言う。しかし、僧院ばかりをこんなに見て回っては、飽きてしまうのではなかろうか。僧院だけでなく、14世紀のモルダヴィア王国の首都であったスチャヴァや、その後1565年に遷都され、ルーマニア最古の歴史を誇る名門ヤシ大学、モルダヴィア文化の中心となった王都ヤシなど、町観光もしたい。古いものばかりでなく、「今」を見るのも、楽しい。そこで、列車の中では以下の結論となった。

「ロマンには2泊しよう。僧院見物は、世界遺産となっているメインの5つ(セカンドグループ)の中でも特に有名どころのみで充分であろう。その後はヤシへ移動し、日中、街を一回りしたあと、夜行でシゲットに向かおう」。

 

シゲットへの道程について、マリアのアパートでチェックしたところでは、パシュカニという町から2204分発クルージ行きの急行に乗って、とちゅうのサルヴァ(431分着)でブカレストから来たシゲット行き急行に乗り換える(サルヴァ発437分)。これで、シゲットには朝89分に到着することができる。ヤシからパシュカニへの列車はチェックしていなかったが、2時間程で行けるというマリアの話である。

 

 このところ、人の写真を撮らなくなってきている。トルコ以降、とくにヨーロッパに入ってからは、それが顕著になっているように思う。しかし、ブラショフの目抜き通りである共和国通りを歩く婦人の立派な毛皮コートであるとか、マリアさんの可愛らしくて素敵な帽子であるとか、クリスマスツリー用の、5mはあろうかという立派な樹を買って持ち帰るオジサンの姿とか、思い返すと被写体は多い。ルーマニア人は美人が多いのだし、もっと人を狙って良いのではないか、と思う。もっとも、建物に気を取られているせいでもあるのだろうが。

 

 列車はモルダヴィア平原に至るまでは山あいの支線であるため、ゆっくりと走る。しかしブカレスト-スチャヴァ幹線のアジュド(Adjud)という町からは、猛然と飛ばす。2120分。バカウに着く。定刻では2143分にロマンに着くのだが、列車が予定通り走っているのかどうかは知る由もない。車内放送もないので、駅に着くたびに「どこか、ここか」と気がかりになる。

ブラショフでは満席だった8人乗りコンパートメントも、お客は降りるばかりで人は増えない。寂しさが募る。暖房がよく効いているのが幸いだ。バカウを出たところで、コンパートメントには我々の他、初老の婦人だけになってしまった。しばらく走って、次の駅が近づいてくる。婦人は降りる支度を始める。僕は「ロマンですか?」と尋ねる。婦人は「プレミア、○×△□、ロマン」と言った・・・ような気がする。とにかく、ここはまだロマンではなく、次か、その次がロマンだと、言っている、ようだ。

 

【ロマンに到着】

 いつでも降りられるように支度をし、次の駅への到着を待つ。列車が速度をゆるめる。右手の通路に出て前方を見る。駅が見えてきた。駅舎の明かりの中に「ROMAN」の文字が見える。2145分の到着であった。

 

 外は寒い。迎えが来ることになっていたが、辺りは暗いし、当然だがどんな人間が待っているのか分からない。ここで降りる人は多くはない。少し不安を感じながら駅舎のほうへ歩いていくと、通りがかった若い娘に英語で愛想良く声をかけられた。

これが、今日から厄介になるヨゼフ氏の娘のティミさんであった。

ヨゼフ氏の奥さんであるルチアさんが、マリアの姉妹にあたるのである。車に案内されると、そこには四角い顔でがっちりした体格のオジサンが迎えてくれた。これがヨゼフ氏である。彼の赤い車「ダキア」の、僕は助手席に、ティミとユウコが後部座席に座る。彼らの家はここから17kmほど北に行ったミルチェスティという村にあるという。ユウコとティミの英語会話に横耳を立てながら、一本道の街道を眺めていると、突然、妙にあかるい店が現れた。なんとHard Rock Caféである。また、沿道のレストランには必ずと言っていいほどコカコーラの看板がある。驚いてティミにそのことを言うと、「ヤシにコカコーラの工場があるのよ」という答えが返ってきて、ますます驚いた。

 

 スチャヴァへの街道を北上し、やがて東行きの田舎道にはずれ、ミルチェスティの集落に入る。暗いせいもあるが、沿道には平屋の家屋が並び、その出で立ちといい、塀造りの様子といい、なにかとつぜん日本の集落に入ったような錯覚にとらわれた。

 

 ティミさんに案内された部屋は、12畳はあろうかという広い居間であった。我々は家の裏口から案内されたようで、まず縁側のようなところを過ぎ、本棚にぎっしりと本が詰まった、おしゃれな小部屋を素通りし、扉を開けると暖かくて明るいその部屋にでる。部屋に入ると左手の向かい壁に茶色いレンガ造りの暖炉があり、その手前、窓際に大きなベッドが一つ置かれている。右手、部屋の真ん中には小ぶりの食卓があり、その奥にはシャワーとトイレがある。シャワー入り口の脇には白レンガの暖炉がある。入口の向かい側の壁には、同じようなドアがあって、ティミは我々を部屋に案内すると、そちらの扉に引っ込んだ。テレビの音が聞こえる。どうやら家族は扉の奥にいるらしい。そうするとここは客間ということになるか。

 

【やっぱり僧院ばかりを見よう】

「私の親戚の家に泊まらせてあげるわ」とマリアが言っていたので、普通の民家に泊まるのかと思えば、たしかにこれは普通の民家であるが、我々のような泊まり客と、その家の住民とは直接出会うことはない。これなら我々も要らぬ気遣いをすることなく、気軽に生活することができる。シャワー、トイレも客人専用らしい。ついつい長居をしたくなる雰囲気だ。外に出ればマイナス10度はあろうかという寒さだが(ティミによると、この23日は今冬でもっとも寒くなるらしい)、部屋の中は暖房が充分すぎるほど効いており、Tシャツ、短パンでいられる。

 

 我らが部屋の食卓の上には、僧院の観光ガイドやパンフレットがいくつも積まれている。つい先ほどまでは「僧院ばかりというのも・・・」と思っていたが、いざここまで来ると、なんとなく僧院を見なければならない気分になってきた。一旦引っ込んだティミがまた現れたので、既に伝えた旅程を変更する旨を、改めて伝える。僧院見物には車が不可欠で、これはヨセフ氏の担当であるが、彼は彼の仕事があるため、突然言うのはどうか、と半ば心配だったが、全く無用であった。

 

ティミが「お腹、空いていますか?」と尋ねるので、「空いているといえば空いているが・・・もう夜も遅いし・・・まぁ、軽食ぐらい出してくれるのかな」と思い、食事を頼む。すると、すぐにチキンスープを用意してくれた。なんと、うどんが入っている。ユウコ、大いに喜ぶ。

「うまいうまい」とあっという間に平らげ「いやー、美味しかったねー」と悦に入っていると、お皿を下げてくれたかと思いきや、今度はふかしたポテトを付け合わせに牛肉煮が出てきて、すっかり腹一杯になった。食後、ティミの了解を得て、シャワーで洗濯。ところで、僕のコートのポケット部分がほころんでいる。これを繕う。さすがに安物だけあって、このコートは長持ちするまい。まあ、一冬持てば充分だけど。

 

 寒いことは寒いのだが、ブラショフよりははるかに暖かいような気がする。その話をティミにすると、こんな答えが返ってきた。「ブラショフはルーマニアで最も寒い地方の一つなんです。雪も一番早いんですよ」。

 

 ところで、料金についてはマリアから我々には提示が出ており、それによると

朝食 15,000レイ

夕食 30,000レイ

宿泊 110,000レイ(いずれも1人分)

 ということで、12食付きで115ドル相当ということになっている。また、車の料金はガソリン代として1km当たり1,200レイ。200km走れば10ドル程度ということになる。街中のホテルや、旅行社のチャーター車を考えれば、良心的といえる。しかし、ティミやヨセフ氏からは、料金の話は何も出てこない。明日、こちらから切り出さねばならない。