2月16日(火) ウラン・ウデ 吹雪
【ダッツァンとは如何に】
7時起床!
・・・と、昨晩は張り切って眠りについたが、しかしやはり疲れている我々は朝から体が重い。よって、無理をしないことにした。博物館はあきらめ、ダッツァンだけを見学することにする。
あらためて、8時半起床。
良いホテルである。部屋には冷蔵庫(ミニバー)、TV、電話もある。そして、朝食をホテルで取るのは久しぶりだ。
フロントでタクシーの手配をしてもらい、ダッツァンへ行く。
地吹雪がすごい。ときおり、目の前が真っ白になる。
それでもタクシーを運転するオヤジは時速80-100kmですっ飛ばし、街から30kmのダッツァンへ30分ほどで着いた。話は通っていると思うが不安なので、会話帳を頼りに
「ここでしばらく待っていてもらえますか?」と尋ねる。オヤジはウンウンとうなずいた。
風が強く、雪が痛い。が、この寺はいったいなんとも、なんじゃこりゃ。
イヴォルジンスキー・ダッツァンは1946年に建立された、ロシアにおけるチベット仏教の総本山ともいえる寺だ。ちょうど朝の行事が終わったところらしく、境内の本堂から人々がわらわらと出てきた。そういえばタクシーが止まった駐車場にも車が何台か止まっていた。
「そうだ、今日は旧正月だね」とユウコが言う。
「とすると、これは初詣でということになるね」僕は答えた。
15〜18才ほどと思われる、30名ばかりの少年兵の一団と混じって、我々も本堂に入る。
本堂正面から入ると、向かい側の中央に大仏が座っている。その左右には上下2段に別れてさまざまな仏像が並ぶ。みな、座っている。壁面1つを使って仏様をずらりと並べる配置は、正教の教会にある聖壇と同じである(正教の場合は聖人が並んでいるが)。
「そういえば、ルーマニアの教会には釈迦涅槃のようなキリスト画が多かったなあ」と、そんなことを思い出した。
本堂の柱の派手な色使いは、さすがチベット仏教と感心するが、大仏の前にダライ・ラマの大きな顔写真があり、これが僕には俗な感じがして珍妙である。
「写真を撮りたいが」と、事務をしている僧に尋ねると、しばらく考えた後で「20ドル」という答えが返ってきた。
妙に俗っぽい。
兵隊さんに倣って、本堂の壁に沿って反時計回りに(だからつねに壁を右にして)お参りする。
彼らは初めてここに来たのか、仏像を見るのも熱心だが、みやげ屋での買い物も熱心である。
本堂正面から大仏までの正面道は、敬虔な信者が体を這いつくばらせながら少しずつ仏に近づく「五体投地(地上に伏臥して祈る宗教儀礼)」のための参道で、我々が仏を詣でている間にも、中年夫婦が汗を流しながら熱心に行っていた。
外に出ると、順路ならぬ参道があることに気がついた。来たときは真っ白けで、とにかく本堂だけが見えたので無造作に入ったのであったが、これに沿って歩くと、チベット文字が書かれた円筒形のマニ車がいくつもある。たしか、これを回せば教典を読んだことになるんだったような気がする。我々も人々に倣って、がらがらと回して歩く。
見物ならぬお参りを終えてタクシーに戻り、ホテルに帰るとまだ昼前だ。その気になれば野外民族博物館にも行けるか、と思うが、ひどい悪天なのでやめる。
ホテルのレストランでゆっくり昼食を取る。
どうにもペリメニは期待はずれで、良くない。97年9月に、ユウコと2人でサハリン・ハバロフスクへ旅行に出たが、そのときのペリメニはどこへ行っても素晴らしく、ユウコが「日本に帰ってペリメニ屋を始めようかな」と言うぐらい、感動するモノであった。が、今回はロシア入国以来、「これは」と思うペリメニに出会ってない。このレストランでも例外ではなかった。ペリメニは極東に限るのか。
「中華のダシをルーツにしている、と考えれば、極東のペリメニこそ本物かもしれないね」と、ユウコが言う。
「それもあるかもしれないが」と、僕は考える。
「冬は冷凍モノしかないのかもしれないよ。なんとなくスープが薄くて水っぽかったり。
それに、肉が古いような感じもするし・・・コルサコフのペリメニは美味しかったねえ」と、これは2人の共通認識である。
ホテルGeserの1階にはビジネスセンターがある。ここにインターネット・サービスがあるのでパソコンを使わせてもらう。友人よりいくつかメール有り。近況を書く。
ザックを背負って駅へ行く。
No.20列車はモスクワ発のはずだが、我々が乗るべき3号車には「ИРКУТСК−ПЕКИН」の看板がある。イルクーツクから増設されたのだろうか。
それはともかく乗り込むと、車両には客がない。我々2人で、4人コンパートメントを独占している。我々のベッド2つは、いずれも上段にセットされており、そしてまたまたWelcomeビール&菓子が、テーブルに用意されている。
「この車両は、外人用なのか?」と疑ってしまう。
それが真実なのかどうか知らないが、同じ車両に乗ったのは、4人の中国人男性と、6匹の犬であった。
我々のコンパートメントに相乗りはいない。
疲れているのか、ビールを飲んだ後、夜7時に早々と就寝してしまった。
夜中、目覚めて時計を見ると2時であった。しばらくボヤッとしていると、駅に着いた。ホームの看板に「ЧИТА」とある。
僕は、わけもなく感動していた。中国との国境が、着実に近づいている。目が冴えてしまった。ベッドに潜るが、眠れない。
カーテンを開け、なんとなく外を見ると、満天の星空が広がっていた!!
辺りは平原である。空が広い。
かなり勾配のある線路を、列車はノンビリと進んでいく。トンネルをくぐる。再び星空が広がる。星座の名を知らないことが我ながら恨めしく思うほどに、きれいな空だ。
同乗の犬たち、はじめうるさく「このままでは我々も眠れないのでは」とイライラ。
オジサンたち、中国語で「ウルサクテ、スイマセン」と謝りに来る。
犬は2つ隣のコンパートメントにいる。扉から顔を覗かすドーベルマンがいたので中を覗くと、上下段のベッドに犬たちがふんばり立ち、しかもみんなして扉側(つまり僕の方を)向いているのでギョッとなった。ひもでつながれているので、飛び出てくることはない。
車掌さん(ジイサンと娘。親子か?)がたは、なんとなく犬にも馴れている様子である。
通路にションベン、ウンコをする輩あり。たちまち車内は犬臭くなるが、車掌はとくに嫌がるでもなく、むしろ車内清掃に気を遣ってくれる。とくに娘車掌は甲斐甲斐しい。
戌の飼い主である中国人のオジサン方とも、よくおしゃべりをしている。
僕はいま、なにげなくその会話風景を見ているけど、このオジサン方、みんなバイリンガルなんだよね、すげえな。