2月17日(水) 車中2日目 快晴
【国境、辺境、荒野】
一夜が明けて、午前10:48(ウラン・ウデ時刻。現地時刻表は11:48(モスクワ時刻5:48)ボルズィヤ着。
その前に目を覚ましていたが、車窓には荒野が広がっている。
よく晴れている。雪は少ない。
これがモンゴル平原というモノなのだろうか・・・(ロシアだけど)。
駅に着いたので降りてみるが、けっこう寒い。
ここであらためて列車を見物してみると、我々の乗る3号車および2号車はイルクーツクからくっつけ、4号車はノヴォシビルスクからくっつけ、モスクワから走ってきたのは5号車目以降らしい。そして、そちらの車両にはけっこう乗客がいる。
そして乗犬だが、やはり犬にも性格があるのであって、我々の車両に乗り込む6匹のうち、2匹が何かとお騒がせの問題児のようだ。要するに車内での落ちつき具合が違うのだ。
世話をする中国人のオジサンたちは駅に着くたび散歩に出したり、あるいは車内の掃除をしたり、たいへんだが、きっとこれを含めて商売なのだろうと思う。
連れている6匹は、ドーベルマン、マスチフなど、いずれも血統書が付きそうな洋犬ばかりで、毛並みも良い。
ユウコがふとつぶやく。
「彼ら(犬たち)は、中国で売られるのかな」。
僕が応える。「そりゃあそうだろう。中国の金持ちが飼うんじゃないの?」
再びユウコ。「中国で、ああいう名犬を連れた人、見たこと無いよね」。
「屋内で飼っているんじゃないの? 高級犬だからね」。
「それもそうだけど・・・食用だったりして・・・」。
「まさか! ドーベルマンが美味しいとは思えないけどなあ」。
その犬たちだが、ウラン・ウデから乗り込んでしばらくは、不安のあまりか、みんなしてほえたり叫んだり、とにかくやかましかった。しかし一晩経つと、彼らも勝手が分かってきたのか、おおむね静かになった。
勝手が分かると言えば、彼らは列車の走行中は静かにするようになったものの(ユウコは「観念したんじゃないかな」と評した)、列車がスピードを落とすのは停車のためだということを学び、つまり「駅に着くぞ! 外に出られるぞ! はやく着け! はやくここから出せ!」とばかり、ワンワンオンオン、ガオーギャオーと騒がしくなる。
彼らはもはや、列車を降りて用を足すことを覚えた。初日はションベンやらウンコやらを通路でやられて、それを掃除する飼い主も大変だし、車掌も一緒に掃除をしてゴクロウサマだが、車内は臭くなるし、やはり乗客として気分の良いものではない。
犬を連れている中国人のおじさん方は、中国人にしては珍しく我々に恐縮したり苦笑いをしたりと愛想が良く、それが救いだが、「この車両はハズレだなあ」と思っていた。
列車は荒野の中を、ちんたらちんたらと走っている。というより、歩いているようだ。
黄色い荒野の中に、トーチカのような盛り上がりがあり、そしてそこから砲筒のようなものが覗いている。
「あれはなにかね」とユウコと2人で詮索するが、単なる軍施設にしては数が多いような気がする(あちこちにある)。
「秘密実験施設かも」と言っては笑う。
写真を撮り、「車掌さんにばれたら捕まるかもね」と言って、また笑った。
14:30(現地15:30、モスクワ9:30)、ロシア側の国境、ザバイカルスクに到着した。
検問によりパスポートが回収され、尋問を受ける。
若い女性が英語で質問する。僕も英語で答える。
「ロシアは初めてか?」「いえ、2回目です」
「モスクワに何日いたか?」「2泊しました」
「モスクワでは、どこに行ったか?」「クレムリンに行きました」
「ほかには、どの街にいったか?」「サンクト・ペテルブルグ、ムルマンスク、あとは、えーと、イルクーツクにウラン・ウデ・・・」。
すると彼女は驚いたように「多いな」とつぶやき、
「なんで、そんなに多くの街を訪れる必要があるのか?」と聞く。
「なんで、と言われても・・・必要もなにも、行きたいから行ったんですよ」。
それを答えると、今度は、
「どの列車に乗ったか、番号を答えなさい」というので、既に乗ってきた列車のチケットを見せる。
さらに、「中国には何日滞在するつもりか? そのあとはどうするのか?」と、しつこい。
どうでもいい質問ばかりだが、つじつまが合っていれば怪しまれることはない。
興味本位と思われる質問もあるが、それも彼女の仕事なのだ。
車内の検査をしたのち、列車まるごと駅の操車場まで運ばれ、ここで乗客が解放される。15時半だ。
すべての乗客が列車から降りる。
意外なことに、東洋人が多い。そして、これまた意外なことに、多くの人が犬を連れている。しかも1人につき2匹も3匹も連れている。我々の車両だけではなかったのだ。
ということは「ハズレだったなあ」という思いは当たらない。むしろ「当たり」だったかもしれない。
犬たちはシャバに出られたヨロコビのあまり、主人を引っ張り、そして開放感にあふれた表情で、意に任せて放尿、脱糞をしている。
彼ら犬たちは、少なくとも我らが車両の犬たちは、ウラン・ウデから乗せられている。はじめは不安な鳴き声が絶えなかったが、しばらく走るうちに落ちついた。というより、観念したのだろう。列車のスピードが落ちると、駅に止まって外に出られることを察知するのか期待するのか、泣き叫び始める。そして駅に降りるや、開放感に駆られてそれなりの諸行を果たす。とまあ、そんな感じである。車内ではどうなっているのかというと、我々人間が寝るべきベッドに、彼らが立っているのである(なぜかみんな立っている)。
列車の最後尾に「モスクワ−平壌」のプレートを掲げた車両があった。誰が乗っているのか、興味本位で調べたくなってしまう。
もはや我々にはルーブルは不要である。駅には両替所が一ヶ所ある。すごい人だかりだが、原因は明らかで、両替証明を発行するパソコンが壊れており、受付の女の子が手書きをしているのだ。
列らしい列を作るでもないところに、既にロシア人集団との違いが出ているが、我々は人民との押し合いへし合いの中、行列に並んで待った挙げ句、なんとか残金のほぼ全てを人民元に換金した。
「お釣りは要らないよ」と言うのに、両替窓口のオネエサンは融通が利かず、カペイカまでカッチリ帰ってきた。
ところでこの時、押し合いへし合いに紛れて、僕は割り込みをしていたらしい。横にいた2人の若い女性(化粧は濃く、そしてニンニク臭い。ハングルをしゃべっているようだ)が、我々より先に割り込もうとしていたように感じたので、僕は「なんとしても順番死守だ」と思い、頑張ったのだが、僕が両替に立った際、この2人にジロジロと睨まれていた。あとからユウコに聞くと、「彼女たちの方が、本当は先だったんだよ」と笑っていた。
残った小銭を使うべく、駅の食堂に入る。食堂は広く、天井も高いので雰囲気は悪くないが、客は少ない。そして、メニューも貧弱である。2杯のコーヒーとピロシキ1個を買ったところでルーブルがなくなった。
駅には、警察、軍、税関と、関係職員ばかり。僕はふとユウコに言った。
「彼らは毎日ここで国境警備をして日々過ごしているのかね」
「そうだろうね」
「ならば、我々の外人渡航費で、つまり外人料金なんかで、彼らの人件費が賄われている、ということになるね」。
それが真実かどうか走る由もないが、そう思うだけでも、なんとなくおかしい。
ザバイカルスクは国境の街だが、駅から見る限り、町中には中層のアパートがいくつもあるし、人はそれなりに住んでいる。もっとも、関係者しか住んでいないのかもしれないが。
駅の時刻表を見ると、列車は、週1便のこの列車(および反対方向)と、1日1本のチタ行きだけなのだ。
しかし構内には漢語の表記もある。
構内には医局のような詰め所があり、中国人(と思われる人々)が行列を作っている。不思議に思うと同時に、「我々も何か検査を必要とするのだろうか」と不安になる。中国国籍を持つ人間は、中国入国の際、HRVでないという証明をもらう必要がある、という話をどこかで聞いたような気がする。つまり、この医局で証明書を発行してもらっているのだろうか。
我々はしかし、ロシア人と共に構内の待合いベンチに座って待つ。と、我々の正面に英語をしゃべる3人連れが座った。1人は通訳ガイドらしい。年輩の夫婦が旅行者なのだろう。「物好きもいるモノだ」と思うが、一方で、彼らの目には、我々がどのように写っただろうか。中国人の一団と同質に見えたか、それとも・・・。
彼ら夫婦の間で交わされる英語の会話に、入り込みたい気がした。「こんにちは。我々も旅行者なんですよ。日本から来たんです。というより、日本に帰る途上なのですけど」。
待合いで1時間ほど待って、17時半、アナウンスと共に列車がホームに入ってきた。
乗り込んだ後、出国スタンプを押されたパスポートが車掌から返ってくる。そしてしばらく待つ。
ロシアの軍服を着た、キレイな東洋人女性が通りがかる。ちょっと濃い化粧。頭が切れそうな、「エリート」という言葉を直感的に連想させる顔立ち。そのまま中国語をしゃべりそうだが、我々のコンパートメントの前で、トランシーバー相手にロシア語で会話している(当たり前だ)。なにごとか連絡を取り合い、最後の「パニャートナ」の一言が、妙に印象的に耳に残った。魅力的!
ロシア軍人が通路を行き交い、会話を交わす中、我々は神妙に待つ。
やがて、細身で金髪の若い男性軍人が入ってきて、静かな口調で簡単に言葉を発する。その言葉は、いちどでは我々には理解できない・・・。
再び彼が同じ言葉を繰り返す。「パオカン・・・」
ユウコがハッと気がついたかのように言う。「中国語だ! 荷物だよ」!。
彼女は、あらかじめ荷物検査を予期して座席の脇に置いてあった僕のザックに、やおら手を伸ばす。
「なんだって?」僕は驚いて尋ねる。「パオは『包』 カンは『看』。ザックを見せろってことじゃないの?」ユウコがザックの口をあけながら慌しく返答する。
まあ、いつもの展開としてはそうかもしれないが、と思いつつも僕はなんとなく違和感を覚え、若い軍人を見るが、彼もキョトンとしている。彼も違和感を覚えているようである。
僕が首を傾げると、彼は「違う違う」というような苦笑いを見せ、三たび、口を開いた。今度はゆっくりと、
「パオ、カン、タン」。
「あ!」
ユウコがはじけた。
「報 関 単」
つまり、税関申告書を出せ、ということだったのだ。
我々はパスポートに挟んであった藁半紙の申告書を出し、そして彼はザックの中身を少しチェックして、問題ないというような笑顔で去っていった。
列車がザバイカルスクに着いてすぐに尋問を受け、パスポートに出国スタンプも押されているのに、今さら税関審査などもして、なんだか二度手間のような気もする。もっと効率良くできないものか。
中国人風の女の子がロシア語をしゃべり、そして今は、金髪の若いロシア人が中国で我々に声をかけた。
19時15分、定刻より11分遅れで列車が動き出した。
あたりは真っ暗だが、荒涼とした雰囲気は分かる。
進行方向左手、通路側に道路が併走しているらしく、街灯が続いている。
列車が停まる。
また動き出す。
もう一度止まる。
ここが国境なのだ。
ふたたび動き出すと、やがて中国公安がやって来て、入境卡が配られる。
列車の左手を走る道路の先、はるか向こうに、やけにビカビカと光るものが見えることに気づいた。
建物か? そこだけが明るい。「国境の屯所、といったところかね」「正月だから明るいのかな」なにも分からない我々2人は詮索するばかりである。
19時40分、10分遅れで満州里駅に到着した。
明るい建物の正体は、ここの駅舎であった。しかし、まだ降りられない。
同じ車両に乗るおじさんたちは、さすがに母国に入って安心したのか、のんびりムードでタバコを吸っている。
辺りは真っ暗だが、駅舎のほうはビカビカと明るい。駅のスピーカから中国演歌が流れている。
まず、税関がやってきた。オジサンたちは犬代を徴収されているらしく、ひどくもめている。
「1匹1人分はあんまりだ」とか言っているらしい。我々は、何も聞かれなかった。
思うに、このような列車に乗る日本人は、旅行者ぐらいしかいないのだ。ビジネスマンなら飛行機を使うだろうし、中露をまたいで商売をする日本人商人など、そうはおるまい。
30分ほど待つと、入国審査が入ってくる。
見るなり驚いた。20歳前のかわいい女の子だ!
しかし、もちろん公安である。制服が真新しいのではないかと思う。
さらに驚いたのは、彼女が折畳式の簡易台車に乗せたノートパソコンとともに現れたことであった。
そのノートパソコンは、台車に乗っかった、簡易金庫のような、アタッシュケースのようなケースから顔を出しているのだが、つまり入国管理手続きは、すべてモバイルパソコンで成されるのだ。
「スゲー、中国って、進んでるぜ」。僕は思わずつぶやいた。
ユウコがパスポートを手渡すと、彼女はかわいい笑顔でなにやら話し掛けてきた。中国を解さない僕は、ただ公安の彼女を見、そしてユウコの応対を期待するばかりだが、ユウコはユウコで、これまた分からない、といったふうで、僕を見る。
僕は「分からないよ」と答える。
女の子が再び同じことを言う。ユウコはその声を聞き、そして再び僕を見て苦笑いをした。
僕は「だから、僕を見たって分からないよ」と、再び答えた。
女の子の口調が早口すぎるらしい。それでユウコは戸惑っている。しかし、もはやここは中国なのだから、分からないときには態度をはっきりさせないといけない。しまいには彼らが腹を立ててしまいかねない。早いうちに「分かりません」なり「ゆっくり」なり「英語で」なり、言えばいいのに。公安の彼女は温厚だからよかったものの、怒り出したらどんなに厄介か・・・と、僕はヒヤヒヤと心配するばかりだが、いかんせん「我不会説漢語」の身分としては、いかんともしがたい。
けっきょく英語で対応してもらった。公安の彼女は問題なく英語を話した。
彼女は尋問をしただけで去り、そして次の女の子が入ってきた。
彼女はスタンプの入ったアタッシュケースを持参しており、つまりハンコ屋である。ユウコと話が弾んでいる。あとで聞いたら「どこに行くの?」「哈尓浜の次は、北京?」「哈尓浜では、氷灯?」などと聞かれたらしい。厳しさはない。それにしても、中国、わからん。
「おおー、中国わからんぞ!」と声を上げてしまった。これからは、ユウコに寄りかかり人生だ。
これで入国審査は終わりだが、オジサン達はまだもめている。犬の支払いが二重払いとか、そんなことらしい。
列車を降りていいものか。怒られないか、取り残されはしないかと躊躇するが、プラットフォームを巡回する公安は、べつだん気にする風でもない。
車掌はあいかわらずロシア人親娘だが(つまり彼らは北京まで行くのだろう)、彼らも気にしていない。我々は列車を降り、駅案内の前で記念撮影をする。
駅舎が妙に大きく、そして四角い建物だ。中に入ると、学校の体育館の如く、天井は高く、だだっ広い中に、壁に沿って小店がいくつも並んでいる。
中は明るく、そして賑やかだ。
「ロシアとは違う!」
物売りの愛想の良さ、元気の良さに加え、対面カウンターには・・・
「あっ、碑酒だ!」
僕が叫ぶ。半年ぶりにみた中国碑酒の緑の大瓶であった。
さらに、ユウコが
「あっ、弁当だ!」
それは、我々の先に中国がふたたび見えてきて以来、待ちこがれていた中国の社内弁当、白いスチロールに入った「ぶっかけご飯」だった。
1本3元の碑酒、1個5元の弁当を、2人分買って列車に戻る。
僕はすでに楽しい。中国とは、こんなに活気のある国なのだ。
駅に降りたときに時計を見ると20時45分だったが、時刻表では満州里の停車時間は「19時30分から22時59分」とある。「いったい、何をする時間なのか?」と思うのだが、中国人旅客たちは、構内でなにやら検査を受けている様子であった。ザバイカルスクでも検疫みたいなをやっており、行列ができていたが、「なかなか大変だね」と僕がユウコに言うと、彼女は「それよりなにより、中国人はメシが大切だからね」と言う。僕は思わず「なるほど!」と納得した。夕食時間なのだ。
しかも、列車は定刻より14分も早く(!)23時45分に出発した。
いま気がついたが、この列車ではロシアにいたときから、そして中国に入っても、車内に音楽がかからない。
ロシア国境地帯を走っていたときのチンタラさはどこへやら、列車はぶっ飛ばしている。