2月3日(水)サンクト・ペテルブルグ 薄曇り 夜、雪
【春が来た】
今日は節分(立春)である。
モスクワと同じ時間帯なので、夕方は5時半頃まで明るいが、朝は遅く、8時半を過ぎても薄暗い。
9時に朝食。昨日と全く同じメニュー。
食堂は我々が泊まる部屋と同じぐらいの広さ(10〜12畳程度だろうか)で、長テーブルが2つ並び、泊まり客はおのおの、好きな時間に好きなところに座って食べる。
椅子の前には白い皿と、スプーンとフォークが並んでいる。テーブルの上には、適当に切られたパンが入ったカゴと、コーンフレークが山盛りの大きなボウル、スライスチーズが並ぶ大きな皿、ジャムの入った瓶、バター、コーヒーポット、ティーポットが、2〜3ヶ所に置かれている。
われわれ泊り客は、それぞれの食材を気ままに取り、自分の目の前にある白い皿に置き、食べる。
・・・のだが、ここのコーンフレークはまるでキャットフードのような星形をしており、牛乳につけずに食べるとガリガリと固い。
「これ、キャットフードだったらおかしいね」と笑う。
食堂を管理するオヤジ(調理人ではない)は食器を並べるか片づけるかぐらいしか仕事がないが、ボウルのコーンフレークが少なくなると、食堂の隅に置かれた、やたら大きなコーンフレークの紙箱を無造作に取り上げ、そしてボウルに無造作に継ぎ足す。この動作が、まさしくエサ(=キャットフード)を与えているみたいで、僕にはおかしい。
あとから入ってきた、英語をしゃべる2人の若者旅行者も、このコーンフレークを見て「dog food」がどうのこうのと言っている。誰にでもそう見えるものなのか。
【日本人も来た】
その食堂で朝食をとっていると、チェックインしたときにロビーに居合わせた日本人男性が入ってきた。我々も疲れていたのか、昨日は自分たちがチェックインした後、彼の存在はすっかり忘れていた。僕はあのときの彼の一言で、この人物が東北人であることを直感していたが、これは当たっていた。
彼は青森の出身、しかも青森市の職員であった。Oさんという。
彼の話では、青森はハバロフスクと友好都市なのだという。
「ああ、だから青森とハバロフスクを結ぶフライトがあるんですね」
と僕が感心すると、
「そう。でも夏だけですけどね」
と笑った。
彼は友好的研修の一環として、6月からハバロフスクで暮らしているとのことで、これは3月末で終了するらしい。
「長かったですね。でも、もうすぐです」。
ハバロフスクでは大学で講師もしているのだが(詳しく聞かなかったが、きっと日本語か日本文化を担当しているのだろう)、
これは「休講」ということにして、1週間の休みをもらい、旅行に来たというわけだ。
【飛行機はアテにならない】
そこで、「ハバ(ロフスク)からサンクト(ペテルブルグ)まで、直行便があるんですか?」と尋ねると、彼は「まさか」と笑った。
「ロシアの航空便でアテになるのはモスクワ便だけですよ。ハバからは毎日飛んでいます。
ハバからサンクトへは週1便。しかも、飛ぶかどうかも分からない。
なんたって、ロシアの国家予算の9割以上がモスクワで使われていますからね」。
つまり、ハバからモスクワへ飛び、夜行列車に乗って昨日の朝、サンクトに着いたというわけだ。
我々がこのあとムルマンスクに行く予定であることを知ると、
「あー、良いですね。
僕も最初はそうするつもりで来たんだけど、なんだかここが気に入ってしまって、長居することにしました。
今日もここに泊まって、明日の夜行列車でモスクワに行きます。それでクレムリンぐらいは見て、おしまい」
と言い、人なつこそうに笑った。
【彼の話は止まらない】
東北の言葉はゆったりとして温かみがあり、僕は大好きなのだが、この男性の場合、人柄がそのまま反映しているような気がする。
そして彼は話好きらしく、朝食の短い時間にいろいろと語ってくれた。
「サンクトは良いですね。街全体が美術館みたいで」。
「ロシアの治安は日本で心配するほど悪くないですよ。とくにサンクトは、最も治安が良いんじゃないですかね」。
「モスクワも問題ないでしょう。むしろ極東のほうが良くないですよ。経済状態も悪いし。
毎日殺人事件が起きています。夜中に銃声を聞いたりして。この前も、ロシア人の友人の父親が殺されました。金持ちだったんですよね」。
「極東は、中央の言うことを聞かないんですよ。自分たちの都合でやるから、我々も困るんです」。
「ネヴァ川を渡った橋の向こう、ああ、要塞のほうでなくて、左の橋を渡ったところに人類学博物館があるんですけど、行きましたか?
大黒屋コウダユウの遺品なんかありますよ」。
「エルミタージュには行きましたか? あそこは広くて大変ですから、2階から見ると良いですよ。
ネフスキー通りからはバスの7番、トロリなら1,7,10が行きますね」。
とても親切な人だ。
【我々も停まってはいられない】
しかし我々としてはまず、中国領事館に行かねばならない。
場所はもはや分かっているので、まずはネフスキー通りの地下を走る地下鉄で一駅、サドヴァヤ通りまで出る。
ここから通りに沿ってずっと下れば領事館の近くまで行ける。しかもこの通りにはトラムが走っているので、このトラムに乗ればよい。
・・・のだが、ここでまた心配になった。
「トラムには、どうやって乗ればいいのだろう?」 チケットを買ってから乗るのか、乗ってから買うのか。
チケットが無くても良いような気もするが、ガイドには、
「チケット売り場でチケットを買ってから乗らないと無賃乗車になり罰金を取られる」
と書いてあったような気がする。真偽のほどは如何に。
トラムの停留所そばでチケット売り場を探すが、それらしいものはない。
すぐそばにデパートがあったので入って探してみるが、ない。店員さんに聞いても要領を得ない。
「まあ、歩いても距離は知れているのだから」と歩き出し、おととい通りがかったオバチャンバザールまで行くと、チケット売り場みたいな小さなボックスがある。
受付窓口の貼り紙にも、ビリェットの値段らしきものが書いてある。しかし、
「ずいぶん高いな。これは何の値段だろう」
と思って、窓口のオバチャンに尋ねてみるが、
「ビリェットは無い!」の一点張りで、埒が開かない。
【ビリェット、ニェット】
「しまったなあ・・・朝、Oさんにトラムの乗り方を聞いておけばよかった」。
僕はつぶやいたが、もう遅い。うりうりと歩いて、結局、領事館に着いたのは11時10分であった。
なさけない。
幸いVISA申請窓口はまだ開いており、VISAは無事取ることが来たものの、料金は即日発行と同じで、1人55ドル。
「月曜日に取っておけば良かったなあ」
そう思うと、ますますなさけない。
【エルミタージュに行こう!】
それでもとりあえず一仕事終えた。
「よし、エルミタージュだ!」
中国領事からエルミタージュまではかなり距離がある。もう時間は無駄にしたくない。
トラムの停留所で人々の乗り方をしばらく眺めてみるが、チケットを持っている人はいない。地元の人はほとんど定期を持っているからだ。
「もうなんでもいいや。えいっ!」
とトラム14番に乗り込むと、乗降口の目の前にチケット売りの車掌オバチャンが立っていた!
彼女に金を払えば良かったのだ。ほんとにもう、さんざん歩かせてしまってユウコに申し訳ない。
このトラム14番でネフスキー通りとの交差点まで戻り、ここでバスに乗り換えるところ、
「ЭРМИТАЖ」の看板を掲げたIvecoのミニバン(ミニバス)が通りかかったので、これに乗った。
エルミタージュの入り口に着いたのは12時20分。
料金表を見て驚いた。
「ロシア人15、外国人250」。ひどい。
「外賓料金だね」。こういう姑息なシステムを導入しているのは、中国やイランだけではなかった。
【値段は高いが、品質も高い】
しかし、中はすごい。エルミタージュ美術館の展示内容等については素人の僕が書くまでもなく、旅行ガイドブックなどにも事細かく書かれているのだが、我々が見て歩いただけでも、
まず、
ダ・ヴィンチ、ファン・ダイク、ラファエロ、ミケランジェロなどルネサンス期の絵画、
キリストをモチーフにした絵画、聖物ネタ(天使とか)、
ポートレートなどの西洋画、ルーベンスにレンブラント。
これが2階。3階に行くと、
モネ(水彩画チック)、ルノワール(眼が良い)、ゴッホ(自分の中で路線が定まっていない感じ。研究? 実験的? 迷い?)。
ゴーギャン(タヒチの絵。評価が高いらしいが、暗い印象を受ける)、セザンヌ(ゴッホよりずっと統一的。ムンクの画風は彼が原点だったんだっけか?)、
ミレ(1枚しかない)、ロダンの彫刻(あまり良い出来とは思えないが・・・)、ピカソ、マチス、などなど。
近代美術館もびっくりだ。
教科書で見たことのある絵がたくさん並んでいる。
しかもこの美術館は、コレクションを少しずつ取っ替え引っ替え展示しているというのだから、なおすごい。
1階に降りれば、
ロシア考古学博物館とでも言うべき、スキタイ、アルタイ時代の出土品、
エジプト物、ギリシア、ローマ物が並ぶ。
そしてこの美術館には、もともと宮殿(冬宮)としての魅力も満載である。
インテリアの展示。食器や装飾品、
シャンデリア、馬車、謁見の間。
3階にはアジア物(中国、チベット、インドネシア他)もあるが、見なかった。
「『まともに見るなら少なくとも3日はかかる』と言われているぐらいなのだから、3日間有効チケットでも作ればいいのに!」
と思わせるほど、展示品の多さにはただただ感嘆するばかりである。
途中休憩を入れつつ、我々は4時間半をかけて、半分ほどの展示を見たのだろうか。「眺め歩いた」と言うべきか。
以下、シロウトながら、個人印象をつらつらと書いてみる。
・彫刻物は近代の作品よりも、ギリシア・ローマ時代の物のほうがゴツくて気合いが感じられ、しかも美しいと思う(イスタンブールの考古学博物館でも感じた)。
・モネはパステル調の淡い絵も良いが、陰陽ののはっきりした、わりと暗めの色使いをした作品のほうが、メリハリがあって良い。
中でも最も魅力的だった絵画:
・Lady in a garden, 1867 ルノワール
・Actress Jeanne Samary, 1878 ルノワール(絵のモデルとなった女優さんの本物にお会いしたい)
・3人の女, 1908 ピカソ
・Composition with sliced paper, 1914 ピカソ
少しマイナーどころとしては、
・Woman in a Black Hat by van Dongan
・Maruquetの風景画など、良い。
また、ユウコの日記にもあるとおり、
・Constant TOROYANのDeparture for the Market
は、動物を連れて市場へ向かう人々がリアルで素晴らしく、とくに逆光の加減がイカしている。羊や牛など、今にも動き出しそうだ。
【不思議なヌード画、裸の芸術】
ところで、西洋画にはヌード画も多い。ここにもいくつか展示がある。
とくにWoman in a Black Hat(だったと思うが記憶が曖昧かもしれない)は、元気な娘が明るい笑顔でごく普通にこちらを向いているのだが、片胸だけがポロリと肌けており、横たわる裸婦よりもどこかエロチックで、向き合った瞬間にドキッとさせられる。
ほかにも、ハレム的なハレンチなものもある。つまりけっきょくはエロ本やヌード写真集のような物なのか。そういえば、そんな話をどこかで聞いたことがある。当時、写真はないのだから、絵を見て「美しい」だけでは済まないだろう。
それから、トルコで見たときと同様、ギリシア・ローマ時代の彫像はやっぱり素っ裸が多い。とくに男は全身丸出しで、シーツのような物を1枚、肩に羽織ったりしている。女性の場合、さすがに下は、これまたシーツのような纏い物で隠してあるが、上半身はさらけだしている。みなさん、暑いのかしら。
デカイ絵も多い。描く人も大したものだが、よくもまあ集めた(奪った?)ものだ。
特別展示で、Халякатなる人物の絵が展示されていた。イタリアの風光明媚、トレビを描いた絵が多く、行きたくなる。
ルノワールは昔から好きだったが、やはり好きだということを実感する次第である。
【ムルマンスクとはどんなところ】
YH内にあるシンドバッドトラベルで、明日のムルマンスク行きのフライトを予約する。予約を流すのは今日でも出来るが、もう航空会社の予約センターが閉まっているので、明日の朝に確認する必要があるという。つまり現段階で確定できいないのだが、「たぶん大丈夫よ」と、金髪をショートカットにした受付のオネエチャンが笑った。
到着が夜になるので、可能ならば宿も取っておきたいが、ここでは「できません」。で、YHのレセプションに聞くが、ここでも「できません」。
うーん、そういうのはTravel Agencyとは言わないゾ。明日、レジスターしてもらったコンパニオンにでも行ってみようか。
少し金がかかっても良いから、空港まで迎えに来てもらおうかな。
「21時30分着だもんねえ。バスがなかったら、路頭に迷うよ。死んでしまうね」。
そこで明日の仕事は、@チケットの手配チェック、及び空港への行き方を確認、AYHのチェックアウト&荷物を預けて、Bコンパニオンへアコモデーションの話をしに行く、Cペトロパブロフスク要塞の観光、D遅くとも夕方5時にはここ(YH)に戻ってこられるように。あと、両替もしなければ。