2月5日(金)ムルマンスク 晴れ
【夢のオーロラ、オーロラの夢】
11時にベッドを出る。寝室はすきま風が入り、寒い。
シャワーはじっくり待つと湯になった。昨晩、ユウコはぬるま湯で大変だったという。ちょっとかわいそう。
ムルマンスクに来たのはオーロラを見るためであり、これに尽きる・・・のだが・・・、
もちろん、オーロラは見たい。しかし、それ以上に、今の僕にはこの街にやって来られたという、その事実が嬉しい。
飛行機だろうと鉄道だろうと、そんなことはどうでもいい。実のところ、心のどこかで「さすがに、ここまではムリだろうなあ」という思いがあったのかもしれない。
出発前、あるいは道中では、2人で「オーロラが見られたらいいね!」と夢のように話していたが、当時は本当に夢のまた夢でしかなかった。
が、今はその「夢の街」にいるのだ。どうも妙な気分である。それに、オーロラは既に機内から見えてしまった。あれは本当にオーロラなのか・・・
いや、本当にオーロラだったのだ。あまりにも呆気なく、夢は実現してしまった。もちろん、それでも良いのだけれど。でもやっぱり、地上で見たい。
昼食はCafé Svetlanaで取る。カフェというより、だだっ広いレストランだが、安かった。ボルシチ、ハンバーグ、茶。地元客はサラダも食べている。
向かいに座ったオジサンが飲んでいるウォッカが気になってついつい頼んでしまったが、これが妙にうまかった。
昨晩、ミニバスの車窓から「北緯68°33’の碑」を発見した。これは「歩き方」に出ている。しかしロンプラには載っていない。
いま、手元に「歩き方」がないので、石碑を見に行くことはあきらめていた。というか、「わざわざ石碑を見に行くなんて」と思っていた。
しかし、あそこにあると思うと(しかも簡単に行けると思うと)、見に行きたい。
というわけで、街の通りから空港に行くバスに乗り込む。
どこまで行けばいいのか分からず、チケット売りの車掌さんを困らせてしまったが、我々の身振りに運転手さんが理解してくれた。
しかし、いちばん後ろの席に座ったのが失敗した。
とあるバス停で、我々に対して「降りないのか?」というような視線を、最前列に座る車掌さんが向けた。しかし、車窓を見る限りそれらしいものは見えない。
「ここで降りるのかな」とユウコが言う。
「本当にここだというなら、しっかり声をかけてくれるだろう」と僕は答える。
そしてバスは動きだし、やがて石碑が見えた。
「あ、あれだ!」と指さすが、バスは行き過ぎた。次でおりようと慌てて席を立つが、次のバス停はけっこう遠かった。
車掌さんには「だから『降りないの?』って聞いたのに!」というふうにたしなめられた。
が、運転手も車掌も「寒いから、バスに乗って1つ戻った方がいいよ」と我々を諭す。
親切だ! しかし我々は歩いた。
快晴! 寒い!
しかも歩道が堆雪に埋もれ、車道の脇を歩くしかない。
なんとか石碑に着いた。この石碑は、ムルマンスクと、隣町コーラの境にあるのだった。
眼下に見える川(湾?)も凍っている。
「サムイサムイ。足がちぎれるよ」と言いながら帰りのバスを待つ。実際、歩き回っていないと体が凍り付いてしまいそうだ。
ミニバスが来たので乗る。ミニバスは、バスよりも暖かいし、速いし、乗り心地も良くて快適だし、値段も大して変わらない(少し高いが)。
鉄道駅を冷やかす。乗らないけど、モスクワ行きは1日に何本かあって、
ムルマンスク20:58発→モスクワ12:13着(2泊)
同 17:xx → 08:xx (2泊)(xxは失念した)
など。ペテルブルグ行きもいくつかある。
さて、昨日は機内で羨むしかなかったファーストクラスの料理の恨みをはらすべく、今日はホテルそばのデパートで、サーモン、イクラ、クラッカー、シャンパンを買い込んだ。
酒が安い。ウォッカは0.25lで15ルーブル。ワイン1本30-36。ビールは6-7(0.5l)。
このデパートの入り口前には「Change Dollar ?」のオヤジ共がいる。久しぶりに見た。そして、地元の人々もかなり頻繁に、少額での両替に余念がない。
昨日、同じ所でたむろしていたオヤジ共をホテルの部屋の窓から見下ろしていたが、彼らだったのかな。
部屋でシャンパンを飲みつつ、クイズ番組を見つつ、たまに窓から顔を出して空を眺める。
クイズ番組は素人参加のスペリング当てクイズで、カウナスで見たものと内容的には同じだが、あちらの参加者は、スタジオの観覧者も含め、みなガラが悪かった(スキンヘッドの若者が多い)。
それに比べると、こちらのは家族参加で明るく楽しい。景品がやたらと出ている。
ユウコはときおり窓のそばへ行って空を眺め、オーロラへの期待大。
僕はほろ酔い気分でウトウトしだした8時20分頃、予想に反してずいぶんと早い時間に、部屋の窓の右手上空にボヤーと薄緑色のスジが見えた!!
「おおー、見えたー!!」。
ユウコの言うことには、白クマがコカコーラ片手にオーロラを眺めているCMを見て、
「これはもしや、『オーロラが出ましたよー』の合図なのでは」
と空を眺めたら出ていた、らしい。
僕はすっかりいい気分で「まさかあ」と思うが、タイミングはぴったりであった。
そのオーロラだが、街の照明のためにぼんやりとしか見えず、「見えた見えた」と思いながらも、しばらく半信半疑で眺めていたが、形も変わるし、色の濃淡、色調も変わるし、そしてなにより波打っている!!
すげぇー。
僕はますます嬉しくなって、「これは乾杯をしなければ」と、さらに買い物に出る。
ホテルを出た右手に売店の並びがあり、少し暗がりがある。
そこで足を止め、ふたたび空を見上げると、オーロラはいまやピークに達しているかのごとく、今度はドラスティックに波打っている!!
「うわー、これはすごいぞ」と思わず声を出すが、街中で口をポカンと開けて空を眺めているのは僕だけだ。
ウォッカで乾杯と行きたいが、売店(キオスク)にはない。「マガジンに行け」と言われるが、マガジンはみな夜9時に閉まってしまった。よって、ビールとジュースのみを買って帰る。
部屋に戻るなりユウコが、「さっきの見た? すごかったねー。マサトにも知らせたかったんだけど、声を出すわけにも行かないしねー」と言う。
僕は僕で、「ユウコもさっきのオーロラを見たかな」と気になっていたので、良かった。
それで、もういちど空を見ると、右手のオーロラは消えかけ、今度は頭の真上に、先ほどのオーロラと平行するようにスジが見える。
「すごいなー」と思い、ふと地上を見下ろすが、やはり街の人々は誰も気にしていない。日常生活の一部なのだ。
「1年の3分の2はオーロラが見える」というから、感動はないのだ。
まあ、思えば76年に一度しか見ることの出来ないハレー彗星だって、知らない人にはどうでもいいんだからな・・・。
それでもやはり感動を分かち合うためにはどうしても乾杯をしたいので、二人でホテルのバーに行くことにした。
部屋を出るなり、昨夜とは別のジェジュールナヤに声をかけられ近づくと、フロアのロビーに日本人の女子学生らしい2人組がいる。
「ああ、どうも今晩は」と挨拶もそこそこに、「我々はバーへ行くので」と離れたが、あいにくバーは貸し切りで入れない。
それで決まり悪くロビーへ戻ると、ジェジュールナヤがチャイを出してくれた。
「ここで何してるんですか?」と彼女らが聞くので、観光だというと「わざわざ?」と目をパチクリさせる。
しかしそういう彼女たちも観光、というかオーロラを見に来たのである。
モスクワに留学中の2人は、飛行機で来る予定が「乗り遅れちゃって」列車で2晩かけ、ムルマンスクには今日の昼に着いたばかりなのだという。
それで、明日にはモスクワに戻らなければならない。
「オーロラ、見ました?」と聞くので、「さっき見えてましたよ」とあっさり答えると、彼女らは口をあんぐりとして、
「ええー? 真夜中に出るもんじゃないんですかぁ?」と声を上げた。
「お茶飲んでる場合じゃないよね」などと2人でお互いをたしなめ、
「夜中に挑戦するしかないね」と慰め合っている。
ところで2人の話では、フロントのオバチャンが「801号室にサトーという日本人が居るのよ!」と吹いて回っているらしい。
「ああ、それでなのか」。
僕は思いだした。さっきオーロラが出る前、夜7時半ごろ、ドアをノックする人がある。
ホテルの訪ね人はろくなことがない。追い払うに限る。
扉の向こうに「誰ですか?」と日本語で聞いたら、
「こんばんは」と、意外な日本語が返ってきた。開けると青年が1人立っている。
「おやすみ中のところ、すみません。日本人旅行者が泊まっていると聞いたもので、遊びに来たんです」と言う。
見たところ悪人には見えず、話しぶりはむしろ愛想良いが、とつぜんの来訪者に僕はとまどい、言葉が出ない。
すでにシャンパンを飲んでいた酔いも手伝ってか、かなり不審、あるいは不機嫌な表情をしていたのだろう。
彼はすぐさま、「あ・・・でも、お疲れでしたら良いんです。どうもすみませんでした」と立ち去った。
あとから考えると、彼は1人旅のようで、かえって寂しくさせてしまったかと思うと心が痛む。
「事情をもう少し詳しく説明してくれれば良かったのになあ」。僕はひとりつぶやいた。
彼の部屋番号は分からない。フロントに聞けば教えてくれるだろうが、時間も遅いし、それに「そこまですることもないか」と、我々は部屋に引き上げた。