ロシア6(No.89)ブリヤート人の街〜ウランウデ

 

【アジアなロシア、ウランウデ】

215日(晴れ)

今日も早起き。イルクーツク時間7時だとイルクーツクの朝はまだ明けていない。7時半でも東の空が白んでくる程度。雪道をくだる。今日は転ばなかった。気温-8℃。

駅にはこれから電車に乗ろうとするよりも、到着した人の方が多い。イルクーツクの駅待合いはまあまあ安全。

列車が到着。私たちの乗るワゴンNo6の車掌さんは男の人。

この列車、ウランバートル行きのせいか、東洋系の乗客が多い。

しかし、私たちのコンパートメントにはロシア人夫婦。あまり愛想はないが、静かな人たちでよかった。

この車両には商人がいるのか、ウォッカ、くつ、ヨーグルト、ジュース、ふとん、毛布、シャツなどありとあらゆるものをたーくさん持った人が何度も行き交う。こんなにものが行き交うなんて、年末みたいだ。もしかして、モンゴルの正月は旧暦で祝うのだろうか?中国の正月は旧正月なので、明日だ。もしかしたら、ブリヤート人の正月も明日??初詣ででダッツアン大混雑だったりしたら難儀だなあ。それはないか。などと、ひとりでぼけツッコミしてみる。

車窓からは再びバイカル湖が見えた。あらためて景色を満喫。途中駅ではもちろんomulを売っている。私たちはピロシキとカルトーシュカ(じゃがいも)を買う。ミネラルウォーターのバイカルもうまい。omulも食べたいが、魚はウズベクで当たったので、レストラン以外ではどうも怖い。まあ、今は寒い季節なので大丈夫なのかもしれないが。

 

ウランウデに到着。駅1Fで「キップクレー」と言うと、「2Fへ行け」と言われる。問題なく券入手。これで、中国に進むことができる。

意気揚々と今日の宿探しへ。しかし、道に迷う。しかもマサトが宿を本気でみつける気が感じられない。あまりの呑気さに「探す気あるのかな」と不安になり、しびれをきらしてマサトに荷物を預け、ホテルを探しに行く。人に聞き聞き、なんとかホテルゲセルを見つける。部屋も空いており、フロントの人も優しい。フロントの女性はブリヤート系の顔立ちで、私たち日本人と似ており、友人のRさんに似ている。そして彼女は「1泊359.1ルーブルです」という。安い!走ってマサトのもとへ戻り、報告する。「あ、そう。」となんの感動もない。がっくり。「良く探したな」とか、「安くていいな、でかしたぞ」とか、せめて「ありがとう」くらいないの?

なんだか不愉快になったが、部屋がきれいで気持ちが和んだ。

気を取り直して街へ出ると、笑っちゃうくらいデカイレーニンの顔が街の真ん中にどかーんとある。レーニンのその前ではミニ雪祭りのような雪の彫刻がある。

明日のダッツアン行きのバスを調べる。良い時間がなく、タクシーを使うことにする。

しかし、ウランウデ、田舎だ・・・。信号はあるが、電気がついていないので、作動していない。街灯も暗い。店はほとんどの所が7時まで。そして街中にレストランはない。夕食はホテルで済ませるしかない。

このホテルの夕食がなんだかとんちんかんだった。

カニサラダと頼んだのに、出てきたのはチキンサラダ。

マサトがタバカポテトチーズ焼きと言ったのに、出てきたのはハンバーグポテトチーズ焼き

ユウコに至っては頼んだつもりがないハンバーグのパイ包みコーン入りが出てくる始末。

このホテルのレストランは「街一番」という。それにしては料金は安かった。一応、生バンド演奏を聴きながら食事できる。

しかし安いといっても「外人にとって」であって、地元の人にはそうでないだろう。

ここはもはや「ロシア」ではない。自治国だからかもしれないが。「モスクワ」を「ロシア」というなら、ここは全く違う。広すぎるロシア。何かがこの国は狂っている。モスクワ偏重の政策は本当に問題だ。明らかに東西格差がありすぎる。そして、マサトは今日、列車料金を法外に取られていたようだが、この国では外人相手のドル払い請負業者だけが、暴利をむさぼっている。

 

【ここはモンゴルです】

216日(吹雪)

ダッツアンにはタクシーで行くことにしたので8時半起床。今日は珍しく朝食付き。目玉焼きとジュース(甘いだけの気の抜けたレモンスカッシュ)、カッテージチーズにさとうとはちみつがかかったものが出たっきり、パンが出ない。よく見ると、レストランに居る地元の人はパンを食べない。パンを食べているのはロシア人と外人だけ。コーヒーはあまり美味しくない。パンではなく乳製品、そういう文化圏、モンゴル文化圏に来たのだ。

ダッツアンへ。

外は吹雪。タクシーはホテルで頼んだら、中型が来た。小型で十分だったのだけど。

ダッツアンまでは30分ほど。寺院なので、山の中にあるのかと思ったが、平地にある。悪天候にもかかわらず、参詣客がけっこういる。特に軍人さんの姿が目立つ。今日はお正月だからかな・・・などと思う。

着いたときが丁度、朝のお勤めが終わったところらしく、中から民族衣装を着た人も出てくる。軍人さんに混じって、我々も参詣。

チベット仏教だから、大乗仏教の私たちと宗派がちがうとはいえ、キリストと違ってブッダになら素直に手が合わせられるのだから、不思議だ。

ダッツアンの中は素晴らしく、大変カラフルだ。中央に大仏がおり、その周りを4体×2段の仏が囲っている。マサトが本堂の写真を撮ろうとしたら「20ドルお布施しなさい」といわれるのでやめる。ぐるぐる回す凡字のかいてある円筒を回して戻る。

見学を待っていてくれたタクシーの運ちゃん「寒かったか?」と優しい。しかも往復で200ルーブル(≒8ドル)だった。

ホテルに戻り、昼食。

ペリメーニ、サケと玉ねぎ・じゃがいものミルク煮を食べる。

ペリメーニはいまいち美味しくない。マサトが「肉が冷凍だからでは?」という。そうかもしれない。クサミがある。

ガセルのビジネスセンターにインターネットがあったのでする。父・友人たちにメールを出す。良い絵はがきがあったので、マサト両親、ユウコ両親に出す。

 

【シベリア鉄道に再び】

次の目的地は哈尓浜。列車はがら空き。我々は外人車両らしく、4人コンパートメントを二人だけで使う。もちろんテーブルはビール・お菓子・水・ラーメン・花でデコレーションされている。今回の車掌はまだその料金をとらない。

となりの中国人客が犬を連れて入っていて、少々ウルサい。

 

217日(快晴)

今日は国境を越える。国境付近は草原になり、森(タイガ)ではなくなった。牛がのんびり草を食んでいる。

しかし、まだ丘には雪が残り、土は凍っていて、冬の風景だ。標高が高いせいか、外は寒い。

国境に着くとまずパスポート・コントロール。我々のビザとパスポートを持っていってしまった。その後、別の警官に「ビザとパスポートは?」と言われ、少々心配になる。まさか、偽物が持って行っちゃったわけではないよね。

「ロシアでどこに滞在していたか」と言われ、マサトが答えると「どうしてそんなにたくさんの街にいったのか?」と言われる。「どうして」っていわれても、観光なんです。

この国境の女性警官は英語ができた。先のパスポートを持っていった人々も女性。ロシアでは列車、国境警備関係に女性の職員が多い。

カスタムはまだとりあえずお金C’Kだけ。そんなことをしていると、あれよあれよという間に列車は操車場へ。「このまま列車に閉じこめられてしまうのか?」と危惧していたが、犬もオジサンも我々も操車場にて外に出される。降りてみると乗客に混じって犬が結構いる。

昨日、犬がうるさかったのだが、マサトと「この車両だけがハズレというわけじゃなかったんだね」と話す。

駅にて元に両替。整列せず、ムチャクチャに並ぶ、ここはすでに中国である。

この列車には平壌行きもくっついているらしく、漢語でないことば(ハングル)を話す人、ニンニクのにおいがする。日本から平壌は直接行けないので、平壌に列車で普通に入国できるという事実が不思議だ。しかしながら、平壌に向かう人たちのマナーがわるいのでむかつく。

出発1時間前に整備を済ませた列車が到着。座席の下の検査・パスポート返却などあり、カスタムの紙を渡す。いよいよ中国だ。