1124日(火)コンヤ 晴れ|道中は曇り時々雨 パムッカレは晴れ(雲多い)

 

【パムッカレを目指す車中で思うこと】

 払暁5時半、モスクから高々と鳴り響くコーランと共に目覚める。オトガルを7時半に出発。西へ約300kmのデニズリを目指す。

 

 イスタンブールが近づいてきた。

 

 そしてそれは、ヨーロッパでの冬の旅の始まりが近づいていることも意味している。このところ疲れているせいか、移動中などで時間のあいたとき、今後の旅のプランについてあれこれ思いを巡らせることが多くなっている。ふと気がつくと、「どこまで行くか」「いつ帰るのか」といったことを考えている。考えあぐねるうちに「本当にできるだろうか」と不安になる。不安の最たる原因は「冬の寒さ」と「日の短さ」だ。寒くては体が動かない。日が短ければ、街中を安全にあることのできる時間が少なくなる。また、暗い夜道とあっては治安についても不安がある。さらに、ビザ取りに時間と金が食われるのも懸案事項である。そのような状況で、無理をおして旅を続けることに意味があるのだろうか。

 

しかし、待てよ。そもそも、「旅の意味」とはなんなのだろう。旅はけっきょく自己満足の世界なのであり、長い短いは関係ない。それよりも、自分で「やりきった」と思えればそれで良いのだ。そして、いま、自分としての究極のやりきりルートとしては、

 

 イスタンブール→東欧・バルト→ロシア→中国満州から雲南→ラオス→タイ

 

 と進み、バンコクから帰るということだ。これで、5月には帰れる算段である。「寒さ」だの「治安」だの、ややこしいことは全く考えないでやるとすれば、これで押し通すしかない。

 

僕はそれで良い。しかし、ユウコは、それで良いだろうか。聞けばきっと「大丈夫だよ」と言うだろう。よしんば反対したとしても、最後は僕の意向を飲むだろう。だが、それは彼女の強がりでもある。だから心配なのだ。寒さには、彼女のほうが弱い。体力もない。トラブルに巻き込まれたとしても、僕1人なら良いが、ユウコまで巻き添えを食らうのは、いかがなものか・・・。ひとり旅で後先考えなくてもいい状況だったら、ここまで深く悩むこともなく、その場の勢いでやってしまいそうな気もするが・・・。

 

 考え事といえば、このところ長距離移動をしているバスの中ではよく白昼夢を見る。やることがないと自分でも不思議なほどにいろいろなことを考えるものだが、好きな映画や漫画を頭の中で自分なりに再現し、さながら「一人上映会」のように楽しんでいるのだ。

「風の谷のナウシカ」「銀河鉄道999」「ガンダム」「スラムダンク」「レース鳩0777」「サスケ」「水滸伝」・・・。

何度も何度も観たり読んだものを、詳細にわたって思い出そうとしている。日本語に、あるいは日本の文化に飢えているのかもしれない。少し疲れているときのほうがこういうことを考える傾向が強いような気がする。

 

バスの中ではパンケーキみたいな菓子のサービスが2回もあり、そのたびにお茶/コーヒーのサービスがあり、そのほか水やファンタも備えている。なかなかのサービスぶりであった。菓子の袋をよく観察すると、どこでもらってもいくつかの国の言葉による商品説明が書かれているが、今日もらった菓子にはトルコ語・英語・独語・露語・ウクライナ語そして中国語の表記があって興味深い。ちなみにギョレメからコンヤへのバスで配られた菓子には、中国語がないかわりにアラビア語の表記があった。

 

【パムッカレに到着。見えたのは素晴らしい石灰棚?】

さて、我らのバスは道中の小さな町々をあちこち回りながら、午後2時半にデニズリに到着した。パムッカレの村へはデニズリでミニバスに乗り換えることになる。農村地帯を呑気に走るミニバスの、車窓の右手に見える緑豊かな丘陵の斜面に、うすら白い部分が見えた。

「あれが石灰棚かな」

「どうかな。あんな小さいのかな」

「あれは別の石灰棚で、本物はもっと大きいのかな」。

そんな話を二人でしながらも、その白い部分は我々に近づいてくる。

けっきょく、これがパムッカレの石灰棚であった。曇りがちの天気のせいか、白い棚はくすんで見える。周囲はすすき野原だし、第一印象は良くない。

 

村のペンションはなだらかな斜面上に点在している。バスは斜面の上側を走るバス通りに停まって客を降ろす。

街道の左手を下るとペンション街、右手の丘陵にはさきの石灰棚が見える。ヴェッケルさんおすすめのHotel KORAYはペンション街の最下部にある。いっぽう、Hotel Phoenixで泊まった部屋の洋服ダンスにはHotel MEMTELのカードが置かれていた。きっと先客が置いていったのだろう。その宿はバス停に近い。運転手のオジサンも僕の手にしたカードに気づき「メムテルはすぐそこだ。あそこはいいぞ」とわけもなく勧める。探すのも面倒なので行ってみると、フロントの応対も良いし、料金も安いし、部屋も清潔、文句なく、ここに泊まることにする。

 

【石灰棚を歩く】

午後4時を回ったところだが日暮れが迫っている。日没には間に合いそうなので、さっそく石灰棚に登ってみることにした。

山の斜面の棚田に白いコーティングを施したようなその風貌は、たしかに他で見ることはできない奇観といえるが、近年では石灰を含んだ温泉の量が減っており、石灰棚に流す水量も「シーズンによって」決められているという。石灰棚は、水がとめどなく流れるあいだは鮮やかな白さを保つことができ、まさに水色をした清水が棚に溜まり、縁から注ぎ落ちるその風景は幻想的であるが、ひとたび水を絶ち空気に触れると白い石灰はたちまち黒く濁ってしまい、みすぼらしい。

 

だが、ひとたび靴を脱いでズボンをたくし上げ、チャプチャプと「白の世界へ」入り込んでいくと、その美しさには言葉を失うばかりだ。夕日に映え、乳白色になった石灰棚は、不思議な雰囲気を醸し出していた。棚を上がりきってしばらく歩いたところにはヒエラポリスなるローマ時代の遺跡があるのだが、それは明日のお楽しみとする。もと来た石灰の道を下ろうとすると、Phoenixに泊まっていた南アの女性2人とバッタリ出会った。

「私たちもMemtelに泊まっているのよ!」と1人は陽気だが、もう片方の女性は我々に愛想が悪い。それはPhoenixで一緒に酒を飲んでいたときでもそうだった。ふとユウコが「あそこで会った中国人と同じで、日本人を嫌っているんじゃないかね」とつぶやく。あまり気にしない。

 

 バスの街道に出て宿へ戻るところで、デニズリからのミニバスが停まり、客を降りて去った。なんと、カッパドキアのツアーで同行した女子大生2人組がいる。今日もトルコ男性につきまとわれているらしく、片方の子はほとほと愛想を尽かしている様子だが、もう片方の女の子が我々に気づき、「あーっ!」と指さした。

「あのオジサンがメムテルを勧めて来るんですけど」と彼女が我々に話しかけると、そのオジサンにつきまとわれているほうの女の子は、「もうイヤーっ! こいつ、どっか行けーっ!」と、ホントにイヤそうだが、我々もメムテルに泊まっているので、無下に「やめたほうが良いです」とも言えず、困る。けっきょく彼女ら2人はここに泊まることにしたらしい。

 

Hotel Memtelは人気がある。4階建てのホテルの最上階に食堂兼談話室があり、若い白人旅行者たちがビデオを見たり、おしゃべりしている。食堂からは石灰棚の眺めがよい。ここではインターネットのサービスもあって、利用料金は1時間5ドル。

それにしても、オフシーズンとはいえパムッカレはカッパドキアと並んで世界的にも有名な観光地だから、トルファン、天池なみの客引き攻撃を想定していたのだが、そのようなことは何も起こらない。さきの女子大生2人は辟易していたが、我々にはむしろ拍子抜けであった。