1117日(火)カルス 晴れ(道中では後曇り時々雨)

 

【黒海に臨む港町トラブゾンへ】

 今日は昼間のバスでトラブゾンまで行く。オトガルまでの送迎バスが8時にホテル前に来ると言われ待っていたが、実際に来たのは8時半であった。オトガルにはIVECOの中型バスが待っていた。我々は昇降口のすぐ後ろ、最前列に座る。思いもかけずY君も同乗し、彼は我々のすぐうしろに座った。バスは9時に出発した。

 

 カルスの町はずれでは動物市が立っていた。ふとカラコルの動物市を思い出す。あれはもう2ヶ月も前のことだ・・・。バスはその後、うねうねとした草原を走るが、1時間ほどで渓谷に入り、川と並走する。両側の山はごつごつとした岩肌がむき出しで荒涼だが、川沿いの狭い平地には落葉樹が多く、黄色に色づいた葉が美しい。集落には白陽樹の並木があり、こちらは葉がすっかり落ちており、晩秋の雰囲気を醸し出している。白樺も生えている。山の斜面には松林も多い。「今日は天気も良いからドライブ日和だなあ」と思っていたら、曇ってきた。道はだんだんと山深く入り、険しくなってくる。11時頃、バザールで賑わう村を通る。一本道の街道に、ドルムシュ、タクシー、バス、人、野菜、露店、しっちゃかめっちゃかになっている。バスは通り抜けるのにひと苦労だ。田舎町のバザールの賑わいを見ていると中央アジアのことが思い出され、ふとした懐かしさを覚える。

 

12時半。三叉路にさしかかったところで昼食休憩。ここはグルジア渓谷への拠点となる町ユスフェリへの分岐点であった。この辺りのドルムシュは近距離の町々をひんぱんに結んでいるようで、道を分かれてさらに山に入れば、グルジア渓谷にもわりと簡単に行けたのだなと思うと、旅程から外したのは少々残念だが、思いもかけず近くまで通ることができ、渓谷の一部が見られただけでもラッキーと思うことにしよう。

 

昼食は、我々はパプリカ肉詰めと牛スジイモ煮込みを頼んで食べた。が、Y君は飯を食わず、ヒマを持て余して辺りを歩き回っている。とくに食べ物を持っているわけでもないらしい。バスに戻ったところで携帯食のビスケットを分けると、素直に「いただきまーす」と喜んで食べた。お茶も振る舞うが、「トイレが近くなると困るんで」とことわられた。

 

 13時に出発。バスは2人の運転手が交代で運転しているが、最前列に座っている我々の様子が気になるのか、休んでいる方が話しかけてきたり、我々も日本語のガイドを見せたり、ユウコが「歩き方」の会話集を見て作った「食事用語集」を見たりして盛り上がる。昼食後も山間の登り坂が続き、やがて少し下り始めたところでアルトヴィンという町に着いた。時計を見ると14時である。谷川に面した山の斜面にへばりつくように町があるのだが、中層のアパートが多く、熱海の町を思わせる。ただ、海はない。バスは町の麓、街道沿いのオトガルに停車。「あとは黒海に出るだけなので、これで山越えは終わったか?」と思いきや、道はふたたび登り坂になる。荒涼としていた山は潤いを見せ始め、緑色と黄色が多くなる。峠を登りきったあとの景色はなんとも美しく、山の上にも下にも雲が広がり、我々はその間に位置していた。その後の下りは九十九折りで、いろは坂もビックリであった。

 

坂を下りきって15時、黒海沿岸の町ホパに出た。グルジアとの国境の町である。目の前には、すぐそこに黒海が広がっている。そしてバスは、波打ち際ぎりぎりを走る街道に沿って西へ進む。郊外には茶畑も広がっている。16時半になると辺りは真っ暗になるが、沿道には町が続き、黒海に面するこの地域はすぐ山が迫っているので、沿岸の町はすべて坂の町になっている。夜景が美しい。

 

 

【思わぬ土地で、思わぬ再会】

17時半にリゼの街を過ぎ、今かまだかとやきもきするが、バスは定刻通り18時半にトラブゾンのオトガルに着いた。ドルムシュが待っていて、Y君と共に乗り込み、中心街メイダンへ出る。ここで降り、なんとなく彼と別れ、我々も宿探しのために歩きだした。

 

ふと、ロカンタの前を通りがかった。

「おいしそうだね」と僕。

「でも、まずは宿だね・・・」とユウコ。

「うん、荷物を降ろしてから飯にしよう・・・あれ?」

 

僕は店の中のお客の一人に目が止まった。

ユウコもすぐに気がついたようで、「あ!」と声を上げる。

 

我々は突然の遭遇に疲れも忘れ、興奮しながら店に飛び込み、言葉もなくそのお客のテーブルに近づいた。

 

彼は入り口からは背を向け、テーブルを挟んでほかの2人の日本人と共に食事をしていた。まず、その2人の日本人と我々との目が合い、気配に気がついて彼が振り向く。

 

「あーっ!!」

 

僕とユウコは彼を指さし、感動と驚きの大声を上げる。そして、それ以外に声が出ない。

 

イランで会った、名古屋のバーテンさんだ!!

 

彼は一瞬、なんのことだか分からずポカンとしていたが、やがて我々の正体に気づき、彼もまた

 

「あーっ!!」

 

と声を上げた。そして、すぐにこう続ける。

 

「いやぁー。分からなかったですよ。コレが無いんで」

 

彼はユウコを見てほっかむりをする手振りをした。ユウコがスカーフをしていなかったので、気がつかなかったらしい。

さらに僕には「ヒゲ、そったんスね」と言って笑う。

 

「いやー、会うときには会うもんですね。こちらの2人も初めてじゃないんですよ。パキスタンで会ってるんです」

と、彼らを紹介してくれた。2人とも小柄だが、人の良さそうな顔立ちをしている。片方の人、どこかで会ったような顔だなーと思うが、思い出せない。

 

ここで座って話でもしたいところだが、我々にはまず宿探しがあるし、話の腰を折っても悪い。「ではまた」と別れ、少し高いと思ったが、すぐ近くのHotel Kalfeに部屋を取り、荷物を降ろしたところで、はたと思い出した。

 

「あれは・・・A君じゃなかったかなぁ」

 

タシュクルガンで「これからパキスタンに行くんですよ。だからもう中国元が無くて」と笑っていたあの青年が、パキスタンからイランを経てここにいることは充分に考えられる。確かめようとふたたびそのロカンタに行ったが、彼らの姿はすでになかった。

 

 夕食はワカサギ風魚のフライ、肉団子とポテトの煮物。

 毎日飲む必要は無いのだが、酒があると思うとついつい買ってしまう。いかん。

 

 ホテルカルフェは安宿の1つだが、我々はどうもLux Roomに泊まらされたらしく、朝食まで付いているらしい。こういうとき「もっと安い部屋はないか?」と聞くべきなのだが、「ノーディスカウント」とも言われたし、宿は混んでいるし、あとから見て回った他のホテルも同じようなものだし、まあいいや。ダブルで10ドルというのは、少なくとも東部では、平均相場なのかもしれないなと自分を納得させる。

 

 昨日、メールを読めてホッとしたが、発信日を確認すると、人によってはほぼ2ヶ月返事を書かなかったことになる。

この2ヶ月は、やはり長かった。「そろそろ帰ろうかな」という思いが、チラリとよぎる。半面「イヤ、もう少し、今できることを、やりきるのだ」とも思う。それにしてもベイスターズが優勝したとは驚いたなあ。我々はすでに浦島太郎になっている。

 

 どうでもいいが、カルスのワゴン車はHyundai製のものが多かった。リゼの町にはトヨタショップがあった。