1118日(水) トラブゾン 晴れのち曇り時々雨

 

【元気一杯、市内観光】

 今日は1日、トラブゾンの市内観光に当てようと気合いを入れて早起きをしたのだが、1階の食堂へ行くと朝食は8時半からとのこと。がっくりとするが神妙にテレビや新聞など見て朝食を待つ。しかし出てきたのは、粗末なパンにジャムとバター、それにお茶。「こんな朝食なら、ないほうが良かったなあ」と、またまたがっくり。

 

気を取り直して、まずはアヤソフィア(聖ソフィア教会)に出かける。これは街の西方にあり、ドルムシュに乗って行く。イランと違い、通りにタクシー/ドルムシュ乗り場の標識はあるし、車は全て認可制(公営?)で、日本と同じくタクシー/ドルムシュと分かる塗装である。トルコのタクシーはみな黄色に黒帯の塗装なのですぐ分かる。あたまには標識もつけている。のだが、ついつい「ぼられないかな・・・」「我々2人だけになった瞬間、タクシーに変身して高い料金を請求されないだろうか」などと要らぬ心配をしてしまう辺り、まだイランの習慣が抜けきっていない。トルコのタクシー/ドルムシュは、みな綺麗で、良く整備されている。洗車もばっちりだ。

1238年から1263年にかけて建立されたというギリシア正教の教会であるアヤソフィアは、黒海を背にし、情緒ある建物であった。

 

街へ戻り、今度は南方、つまり山側にある高台ボズテペに行く。ここからは黒海の展望が素晴らしいとあり、それも楽しみだが、近くにはカイマクル修道院をはじめとするギリシア正教、アルメニア正教の修道院や教会がいくつか建てられているので、それを見物する楽しみもあった。だが、残念ながらカイマクル修道院は閉まっていた。展望の良い一帯はピクニック場になっている。行きはタクシーで登り、下りの帰り道は歩いて帰る。帰りがけの通りがかりに別の教会を発見したので立ち寄るが、ここも閉まっていた。

 

トラブゾンは坂の街だ。入り組んだ地形のため、旧市街でのタクシーは山の斜面を上がったり降りたりたいへんだ。ツーリストオフィスとツーリストポリスが兼任なのが面白い。

 

明日訪れる予定の、トラブゾンから南へ46kmのスメラ修道院へ行くバスについてホテルのフロントで尋ねてみると、いくつかのバス会社がツアーバスを出しており、出発はいつも10時か11時頃だというので、その1つのULUSOYなる会社のオフィスを訪ねてみることにした。明日の10時に来るよう言われる。これはこれとして、ULUSOYの周囲には別のバス会社のオフィスもいくつか並んでいるので、次なる目的地カッパドキアのカイセリに行くバスについて調べ歩く。夜行バスで行きたいが、バスは昼発のものばかり。所要は1012時間なので、到着は夜中だ。これでは宿探しが心配である。しかし、FINDIKKALEという会社では1730分に出る便があるという。所要13時間。翌朝630分に到着するとのこと。明日、スメラへ日帰りで出かけ、時間が合えばその場でチケットを買うことにした。15時には街に戻ってくるということだったから、うまく乗り継げることを祈ろう。

 

昼食はお昼どきの賑わいが一段落ついたレストランに入る。魚オムレツ(チーズ多く、いまいち)とサバ塩煮。サラダ付きだが、少々高く付いた。飯はロカンタ(大衆食堂)に限る。しかし、この辺りのロカンタはNon Alcoholの場合がほとんどなので、夜は少しつらい。トルコの蒸留酒ラクを、そろそろ試してみたいものだ。そこで夕食時に、「アジア横断」にある「眺めの良いレストラン」に入ってみた。たしかに眺めは良い。が、料理はいまひとつだ。というより、ここは飲み屋であって、食事をする雰囲気ではない。メニューもおつまみ程度のものばかりだ。お客のオヤジ共も、飯を食わず、ビールやラクを飲んでいる。白濁した飲物を飲んでいるので乳製品かと思っていたが、あれがラクなのであった。ラクは度数の高い蒸留酒だが、水で割ると成分の何かが反応してチンダル現象を起こし、結果、ヨーグルトドリンクのような白い液体になる。不思議な飲物だ。薬草のように香り高く、トロリと甘口だが、飲み口が良いので覚悟を決めて飲まないと、やられてしまう。 >_<  パン、キョフテ、焼きなすをつまみにユウコと飲む。

 

 宿に帰るとフロントにULUSOYのバス案内があることを発見した。また、インターネットカフェの案内もある。さすがに観光先進国だけのことはあると感心する。そしてこの街にはマクドナルドがある。

 

カルスの宿のシャワー室はなんとなく陰気であったのだが、そこで虫さされにあったらしく、左腕に湿疹状の小さな斑点がいくつもできていた。このホテルにも蚊がいるようで、困る。ところが、日本から持ってきているはずのキンカンが、どこで忘れたのか無くなっていた。それで、薬屋に行って塗り薬を買った。

 

「それにしてもどこで忘れたんだろう、キンカン。持ってきてなかったんだっけ?」

 

自分でも、持っていたのかいなかったのか、最近、とんと使った覚えがないので記憶が定かでない。使ったのは日本の記憶なのか、頭がごっちゃになっている。

 

「でも、確かに持ってきてたよ。わたし『♪むしさされに キンカン♪』とか、歌ってたもの」とユウコが言う。そう言われると、中国では蚊に刺されたあとに塗っていたような気もする。最後に使ったのはどこだろう。

 

「・・・クチャかなぁ」

「あー、そうかもね。交通賓館」

「ハエが多かったよねえ」

「臭かったしね」

「あそこで忘れたか・・・」

 

遠い記憶だ。