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中央アジア10(No.30) オシュの街〜オシュ1

【ソロモンの丘】

今日は919日(曇り)。

首が痛い。マサトはお尻が痛いという。昨日の車での無理な体勢のせいだろうか。一向に疲れがとれず、私たちには珍しく、半日もどこにも行かずにごろごろして、午後からやっと「ソロモンの丘」へ出かけた。ここは15世紀の終わりにフェルガナの王となったザヒルディン・バブールが、小さなシェルターとプライベートモスクを建てたものだという。丘の麓には小さな博物館と確かにモスクがある。ガイドブックには「モスクは女性の入場不可」と書いてあったが、私は問題なく入れた。門番のおじさんが、「どこから来たのか?飛行機で来たのか?妹か?」とロシア語で質問する。私は最初、飛行機を意味する「サマリョート」がわからなかったが、おじさんの大きな身振りのおかげで「サマリョート(飛行機)」という単語を覚えた。モスク脇の小道から丘をひたすら登る。丘の頂上には、再び小さなモスクがある。中には僧侶がいて、授戒のために信者が列をなしている。モスクの手前の広場では、ポラロイド写真屋あり、コーラなどを売る売り子あり、聖地というよりは、観光地のようである。丘の上からオシュの街に目をむけると、白い屋根の一般家屋が多く建っているのが見受けられる。もちろん、工場やビルなどは見当たらない。頂上から降りるときは、来た道の反対側、信者の墓地が広がる方へ降りていく。こちら側は丘というよりも結構険しい岩山だが、墓参りだろうか、年老いた老女なども降りてゆく。途中、人だかりがあるので、何かと近づくと、皆、祠に向かって祈りを捧げている。覗いてみると、人1人がようやく座れる大きさの、ただの穴にしか見えないが、ここに聖者でもかつて座っていたのだろうか。祠を通り過ぎてしばらくしたところで、品のあるおばさまに「どこからきたの?ここは私たちイスラム教徒にとって神聖なお祈りする場所。ここで祈ると商売繁盛と無病息災に御利益があるの。あなたは何教徒?」と尋ねた。私たちはある意味無宗教だが、いつも仏教徒と答えることにしていたので、「仏教徒です。」と答えると、「この辺りの人たちも最初は仏教徒だったのだけど、イスラムに改宗したのよ」と言われた。イスラムの良さを伝えたかったらしい。彼女が話したのはロシア語だったが、ゆっくりなしゃべり方と身振り手振りで、言いたいことはよくわかった。更に丘を降りると、この場所に不似合いな現代建築に出会った。何かと思ったら博物館である。この博物館は、今は閉鎖されている。ソ連時代の建物らしい。基本的に宗教の信仰を禁じた共産主義は、寺院を倉庫や別の目的で使用したと言われているが、この丘もそうなのであろう。ペレストロイカ後、再び宗教の信仰が許され、ここも聖地として再び認められたというわけだ。

街に戻り、レーニン像のある公園に行ってみる。モスクワなどではレーニン像は倒されてしまって、見ることはないというが、サハリンやハバロフスクなど極東ではけっこう像が残っている。特にレーニンに思い入れがあるわけではないが、「この町には残っているかな?」と確かめるのが、私たちの小さな楽しみになっていた。レーニンがいるということは、のどかな田舎町の象徴というわけだ。公園では結婚パーティを行っている人たちがいた。何台もの車で連れ立って、新郎新婦とともに街の名所を巡るというお祝いのしかたはカザフスタンと同じだ。ソロモンの丘でも同様な集団をみかけた。今日は土曜日だから、結婚式も多いのだろうか。

街の食堂で食事をとっていると、隣が小学校だったらしく、家路へと急ぐ小学生達が店の前をとおった。ロシアの影響だろうか、女の子は紺のスカートに白いブラウス、そして頭にお花(白や赤のレースでできたもの)をつけている。このスタイルも極東と同じだ。

マサトは、ホテルアラルの入り口にあるビアホールがどうも気になっているらしく、ホテルに戻ってから、試してみようという。まだ、外は明るいが、地元のおやじたちが「スピン」のようなスナック菓子をつまみに、美味しそうにビールを飲んでいる。「うまそうだな、生ビールだぞ!」マサト、生ビールへの期待に胸が膨らむ。そして、意気揚々と2杯受付でグラスに入れてもらい、席に戻ってきた。「かんぱーい!」わたしも久々のビアホールに御機嫌。ごくりと冷えた生ビールを飲む・・・・。「ん?」2人とも顔を見合わせた。何か変だ。酸っぱい。これは、ビールというより、出来損ないのクヴァス?いやいや、ビールタンクには「ПИВО(ロシア語でビールの意)」ときちんと明記されている。

それにしてもマズイ。私は半分も飲めなかった。マサトはがんばって全部飲んだ。頑張っているマサトを横目に観ながら、もう、私の関心はビアホールにはなく、そこから見える壁に「中国水餃」と大きく中国語で書かれた、ホテルアラル内の中国料理店に移っていた。

それにしても、街のど真ん中を歩く牛も、キルギス帽も、ウズベク帽も、派手なワンピースとスカーフのおばちゃんも、全てが当たり前になってきて、感動が薄れている。疲れか、長旅の結果か?マサトは「田舎はあきる」といった。これは私たちが都会生まれだからなのだろうか?「田舎の楽しみ」を知らないからなのだろうか?

 

【オシュのバザール】

920日(晴れ)

朝は若干すずしい。日中、夜間は暑いくらいだ。このホテル、もちろん冷房はない。今日は日曜バザールに行ってみる。店の数、品揃え、活気ともハンパじゃない。けっこうすごい規模の、良いバザールだ。しかも安い。女性下着120スム(140円!韓国製)。ニンジンが黄色い。カザフまではオレンジ色だったのに・・・。緑のカブ、赤カブ、白カブ・・・。マサト、米屋の販売員に「お前は米を食べるだろう。買って行け。」と赤米を薦められる。「いらない」というと、「どうしてかわないんだ!」と店員が怒る。炊ければ、買いたいのだけれど、ねえ・・・。ジャガイモのコーナーは、行けども行けども、いも、いも、いも。その次は玉葱のコーナーではタマネギ、タマネギ、タマネギ、タマネギ・・・・。こんなに豊富なジャガイモとタマネギ、日本に輸出したいくらいだ。(このあたりのじゃがいもはおいしいし。)バザール内にある、ソフトクリーム屋でソフトクリームを食べてみた。少々羊臭がする。羊乳をつかっているのだろうか?バザールでは食べ物、着るものだけでなく、電気部品、日用品などありとあらゆるものが売られている。この辺りの女性は派手な色を好むようで、布地屋は目がちかちかするような柄の布地ばかりを売っている。中央アジアでも買い物は女性が担当のようで、夫にかぶせるのだろうか、キルギス帽を選ぶのも女性だ。

バザール見物のあと、公園を散歩していると、隣のミュージカル劇場で、今晩催し物があることがわかった。券を買ってみる。コンサートだろうか。切符売りのお姉さんは少々英語が話せる。開演時間について説明を受けた。公園のホットドッグ屋で、ホットドッグを食べる。少し食べたらよけいにお腹が空いて、ホテルアラルの前のチャイハネでラグメンも食べる。最近、タバカばかり食べていたので、ラグメンは久々だ。牛肉を使っているかどうか、マサトが確認してくれた。ここのラグメンは牛肉使用で、カボチャ味の少し甘いラグメンだった。この街ではウイグル人、ウズベク人も目立つ。夕方、昨日チェックしていた「中国水餃」のレストランで、おいしい水餃子(中国以来、久々においしい水餃子に出会った!)とタバカを食べて、劇場へ向かう。(食べてばっかりだ。)

今日の催し物はコンサートではなく、コメディーショーだった。「アララシ」という題名。劇場前では、大勢の子供達が開演を待っている。外国人の私たちを見ると、英語で話しかけてきた。中学生〜高校生くらいの少年達だ。学校で英語を習ったという。上手に英語を話す少年は、顔立ちも利発そうだ。彼らの日本に関する知識は、中国とごっちゃになっていて、「ブルース・リーの国でしょ?」などという。日本でもキルギスに関する情報はほとんど流れていないのだから、お互いさまだ。私だって、マサトがここを旅行したいと言わなければ、この国の存在すら知らなかったかもしれない。少年は「日本でキルギスはどういう風に言われているの?」と質問してきた。悲しいかな、先ほども言ったように、日本でキルギスに関する情報が流れることはほとんどない。(帰国後、日本人拉致事件がキルギスで起こり、その際いろいろと情報が流れたが、最初のうちはNHKでさえ、フリップの地図がいいかげんだったくらいだ)マサトが正直に「キルギスについて話さない」と答えると、少年達は非常にがっかりしていた。嘘でも「山が綺麗な国だと紹介されている」とか、「オシュは鷹匠の街」とか言えば良かったのでは、とあとで思う。

日本でももっと中央アジアに目を向けないと、他国に追い抜かれてしまうのではないだろうか。韓国やドイツ、中国製品の中央アジアへの進出はめざましい。日本製品は「高品質」という定評はあるものの、実際に使用されている姿をあまり見かけないのだ。

今度は宗教の話になり、「仏教徒だ」と答えると、少年達は皆、手を合わせて拝む真似をする。かわいらしい。そうこうしている間に開場になった。席は自由席で、右前の方に席を確保することができた。コメディー「アララシュ」は男性4人組のコントを主体に、歌あり、手品ありの「8時ダヨ!全員集合!!」と「笑点」を一緒にしたような構成。会場中、爆笑しているので、言葉がわからないのは残念だ。私は子供に見られたのだろうか、他の子供に交じって、手品コーナーで少々参加してしまった。歌は口パクだし、どの出し物も野暮ったいところがあって子供だましであるが、皆楽しんでいる。メインの4人組はそれぞれ違う帽子をかぶっていて(キルギス・ウズベク・ウイグル・回)コントでは民族毎の特徴や民族が違うことによる、ちいさないさかいを風刺しているのかもしれないと思った。いろいろな民族が混じっているからこそ面白く、大変な街、オシュ。演目終了のあとは、公共バスが門前で待っていた。子供達も夜10時までこの催し物につき合った。公共で認められている、数少ない娯楽なのだろうか。遠くからきている人もいるのだ。子供達は明日月曜日だけど、学校大丈夫なのかな、などと思う。

ホテルに向かって歩いていると、突然車のクラクションが鳴って私たちの脇につけてくる。周りは街灯もなく真っ暗だ。何者!?身を固くして身構えると、タクシードライバー、インテリ氏であった!今日は別の人を乗せている。「明日ビシュケクに帰るけど、また乗っていかないか?」とマサトを誘った。マサトが「次は、ジャラル・アバッドに行くんだ。」というと、さわやかに「そうか。気を付けて。」と笑って去っていった。Nice Guyという言葉は彼にふさわしい。

しかし、アルマトイでもそうだったが、オシュの人も皆夜目がきく。私たちは鳥目なのではないだろうかと思うくらい、街が暗く感じるが、かれらはすたすたと街灯もない夜道を歩いていく。灯りがビカビカとしているのは、夜半まで営業しているレストランくらいだ。店が少ないので、このような灯りもほとんどない。田舎は平和だ。これまで夜道を歩いていて危ない目にあったことはない。油断は禁物だが。

今日は、デパートの前にオシュの英雄、クルマンジャン・ダッカの銅像が建った。街には「Osh 3000」という標語が至る所に掲げられているが、この銅像建設も、その「町おこし(観光地化)」運動の一環なのだろう。今日は、バザール、切符売りのお姉さん、会場を待つ少年と英語を話す人にも良く会った。これも、教育の成果か、「Osh 3000」の成果か・・・。近日中にはデパートの横に欧米式のスーパーマーケットも開業するようだ。オシュも2〜3年したら、全く違った街になっているのかもしれない。

 

(つづく)