1.中国:上海 初めてのタクシーで

私たちは7月29日に日本から中国へと出発した。最初の目的地は上海である。そのあとシルクロードの玄関口、西安を訪れ、敦煌・新疆へと西進する予定だ。

 

ところで、これからの私たちの旅行は、少しでも長く旅をし、且つ、周りに迷惑をかけないようにするために、旅行費用を最小限に納める必要がある。そのためには、最も費用のかかる「交通手段」を慎重に選ぶことが重要だといえる。一番安く日本から中国へ入国する方法は船で、上海へ向かうのには「鑑真号」という定期便があるそうだが、以前、広島県の瀬戸内海で高速船に30分ほど乗っただけでひどく酔ってしまった経験のある私は、長旅の出だしから船で何泊もするということに大きな不安をもった。確かに、電車・バス・船そして徒歩は、これからの私たちの旅において使用するのが許される交通手段のような気がする。しかし、飛行機というと「贅沢で楽すぎる」という気がして、安易に使いたくはない。そういう意味で飛行機で旅が始まるというのは、出鼻をくじかれたような旅立ちとなるだろう。しかし、私が船で体調を崩してしまったら、その後の長旅に耐えられるか分からない。私が「飛行機がいい」と言ったときの暢はたいそう不満げな顔をしたが、これだけはゆずれなかった。リスクは最小限にしておきたかった。渋る暢に頼み込み、慣れないチケットの手配を自分でして、中国東方航空524便に私たちは乗り込んだ。

 

航空機内では、中国人のパワーに早速圧倒された。乗るときも、降りるときも、とにかく彼らはせっかちだ。飛行機が目的地へ着陸して減速するやいなや、シートベルトのランプも消えていないのに、早々とシートベルトをはずし、まだ滑走路を走っているのに、荷物を下ろして我先にと出口へ並び出す。日本人もせっかちだと私は思っていたが、この彼らのせかせか加減には到底かなわない。しかもただ急ぐだけでなく、他人を押しのけてまで、自分が先に行こうとしている。12億人が暮らすこの国では、何もかもが競争なのだ。これからこのパワフルな人民に負けないように、渡り合っていかなければならないのか・・・。ますます、気が重くなった。

 

上海・虹橋空港には15時30分に到着した。ここの到着ロビーには観光案内所があり、そこで今日の宿を紹介してもらうことにした。観光案内所では英語が通じたので、暢が交渉してくれた。紹介されたホテルまでは公共バスがあるという。ホテルの料金は観光案内所で決まったし、バスは料金が決まっているから交渉をする必要はない。バス乗り場の場所も分かっており、ホテルへの地図もあるので、だれかに道を尋ねることもない。私は「もう夕方になるし、今日は交渉をしなくても良いかもしれない。ホテルについたら、中国語会話集でもう一度重要な言い回しを見直して、明日に備えればいいや。よかった。」そんな風に考え、すこしほっとしていた。乗り込んだバスが終点についた。降りて周りを見渡すが、予約したホテルの看板は見えない。暢に、

「ホテルまではここからどれくらい歩くの。」

と聞くと、

「バスとタクシーを乗り継いで行くって言っただろう。」

と呆れた顔をされた。私は、タクシーに乗るということを聞き逃していたのだ。いやな予感がした。バスを降りると、空が真っ黒で、夕立が来そうである。急いでタクシーを探さなければならないが、なかなか見つからない。しばらくしてやっと、私たちが泊まるのとは別のホテルの前に停まっていた空車のタクシーを見つけ、私は運転手に行き先のホテル名を告げた。しかし、運転手はそのホテルを知らないと言う。口頭ではうまく説明できないので、暢からパンフレットを受け取って地図の部分を見せると、運転手は「ああ、ここか。」というように頷いて、後ろに乗れという身振りをした。ぽつりぽつりと雨が降りはじめてきた。私は急いでタクシーに乗り込もうとした。しかし、なぜか荷物が後ろに引っ張られる。振り向くと、暢が荷物を引っ張っている。そして、

「そうじゃないだろ、交渉。」

と、むっとした顔でつぶやいた。「えっ、話を終えてしまったのに、料金交渉しなければならないの。今日はまだ心の準備ができていなかったのに・・・。」と思うが、暢の言うとおり、料金を決めずにタクシーに乗り込むのは危険なので、仕方ない。おずおずと、

「いくらですか。」

と中国語で尋ねた。運転手が何か言ったが、早口で何を言っているのかわからない。聞き返せば良かったのだが、私はなぜか「聞き返す」という行為が、運転手に弱みを見せることになるのではないかと瞬時に思って、

40元でどうですか?」

と続けた。一瞬、運転手は唖然とした顔をしたが、すぐにはっと我に返り、

「いいよ!」

と答えると、にっこり笑いながら、早く乗って乗ってというジェスチャーをした。雨が本降りになってきた。これ以上、外で話すこともできない。私たちは後部座席に乗り込み、タクシーはホテルへと走り出した。「しかしまてよ。」と、車内で私は考えた。バスの料金は1人3元だった。タクシーだからといって、近距離なのにその10倍以上もするものだろうか。よく思いだしてみると、運転手は「シーウークァイ。(15元・約300円)」と言ったような気がする。私はそれを「ウーシークァイ。(50元・約1000円)」と勘違いして交渉してしまったのではないだろうか。旅をするうえで「安さ」だけを追求するということはしたくないが、限られた予算内で少しでも長く旅をするためには、これからは節約が不可欠だ。それなのに、「無駄遣いをしないようにするための交渉」で、「頼まれてもいないのに法外なチップ」をあげることになってしまいそうだ。困った。どうしよう・・・。最初の交渉からつまずいて、私は泣きそうになりながら暢を見た。

「たぶん『15元でどうだ。』っていわれたんだけど、間違って『40元でどうですか。』って答えちゃった。どうしよう・・・・。」

私が消え入りそうな声でつぶやくと、

「変だと思ってた。どうするんだよ。聞いてわからないなら、筆談にすればよかったんだ。書くものくらい、最初からきちんと用意しておけよ!」

と暢は更に機嫌が悪くなる。「気づいていたなら、乗り込む前に言ってくれればよかったのに・・・。」そう思うが、私が悪いのでしかたない。唇をかみ、うつむいて、私はリュックの中からペンと紙を出そうとした。しかし私はそれらを出しやすい所に用意しておらず、狭い車内で荷物を引っかき回しつづけた。そんな私を見かねて、暢は自分の持っていたペンと紙をさっと取り出すと、私に投げつけた。無言で「降りる前にもう一度きちんと交渉しろよ。」と言っているようだった。逃げ出したくなるような思いだが、やるしかなかった。だめでもともとだ。もう一度、降りるときに運転手に聞いてみた。

「いくらですか?わたしの中国語はへたくそなので、書いていただけませんか。」

と言って、私は下を向いたまま、紙とペンをおそるおそる差し出した。しかし、いつまでたっても運転手がペンをとる気配はない。顔を上げて運転手を見ると、どうも「お代はいいよ。」と言ってくれているようである。しかし私は「商売上手な中国の人が、『ただ乗り』をさせてくれるわけがない。40元のまま変えたくないと思っているのかもしれない。また、私が聞き間違えたに違いない。」そう思いこんで、

「書いて。」

としつこく運転手に頼んだ。すると、運転手は「無」と書いている。「えっ、無料?そんなわけないでしょう。」と私はパニックに陥るが、運転手は続けて「中国語はすこしずつ上手になればいいんですよ。お金は、あなた達のこれからのためにとっておきなさい。」と書いて、車のエンジンを再びかけた。私は驚き、うれしくなった。しかしすぐに恥ずかしく、申し訳ない気持ちになって、

「せめて10元持っていって下さい。」

と運転手の手に10元札を握らせた。運転手は一瞬ためらったが、それを受け取ると、笑顔で手を振って走り去っていった。

「ありがとう、ありがとう!」

去っていくタクシーに、わたしたちはいつまでも手を振った。暢の顔にもいつのまにか笑顔が戻っていた。

 

この出来事は不安だらけだった旅行のスタートで、「どんな国でも良い人はいるんだ。自分さえ見失わなければ、これからうまくやっていけるだろう。」と思えた、とても重要な出来事であった。しかし、暢が全く助け船を出してくれなかったことは、一抹の不安となり、不満となった。ふたりのぶつかり合いは、これがほんの始まりであった。

 

それにしても、10元の件、今なら「ありがとう」と言って払わずに甘えてしまうところだが、そんなところまで、私は旅行者としてつつましやかな「わかばマーク」だったのである。(つづく)