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2.中国・上海:初めてのキップ取り

 

翌日は列車の切符の手配をはじめて行った。これがまた一騒動であった。中国での最初の移動は列車で上海から西安へ行くと決めていた。中国の列車の切符手配を個人で行う場合、日本と同様に駅で直接買うことができる。中国では様々なものに「外国人料金」があり、列車の切符も例外ではない。近年都市部では外国人料金の撤廃が行われているのだが、当時の上海にはまだ「外国人用切符売り場」が存在していた。ここは外国人及び返還前の香港や廈門に住む人、海外の同胞のみが切符を買うことができ、地元民の約2倍という高額料金を取られる代わりに、常に人がごったがえしている地元民の切符売り場とは違ってわりと空いていた。このような切符売り場のある駅では、外国人用切符売場以外で外国人が切符を買うことは基本的にできない。しかし、外国人用切符売り場は当然ながら主要な切符売り場ではないので、駅の端の目立たないところや、駅とは別の建物にあったりする。そのように見つけにくい切符売り場なのだが、さらに悪いことに、上海駅ではガイドに載っていた場所から別の場所へと外国人用切符売り場が移動していた。

 

上海の夏は暑い。まだ9時過ぎだが、陽射しは強く、駅前の黒いアスファルトにギラギラと照りつけていた。もう気温はとっくに30℃を超えていただろう。そんな炎天下、飲み物も飲まずに、あちこち迷い続けてなんとか売場を見つけた。人に聞けば早かったのかもしれないが、切符売り場が移動していたのは私にとって予想外の出来事であり、その予想外の出来事に対して「見知らぬ人にものを尋ねる」という心の準備が、その時にはまだできていなかった。昨日の失敗もあり、知らない人と話す、前もって準備していないことを、外国語を使って話すということへの恐怖感が生まれてきているのかもしれなかった。暢は暑い中、むやみにあちこち歩かされて、少々疲れているようだった。売場が見つかってホッとしたが、これからが本当に大事な「交渉」だ。今、暢をねぎらう余裕はない。私は少し緊張していた。

 

昨日、ガイドブックで予習したところによると「中国の列車の2等寝台(硬臥)切符の入手はほぼ不可能」とあったので、私は最初から特急の1等寝台(軟臥)を希望した。すると、

「その電車に1等寝台はありません。2等ならあります。」

と、思いがけない答えが窓口の職員から返ってきた。交通費が安ければ安いほど良い私たちにとっては、2等で済むなら「願ったり叶ったり」である。

「いくらですか?」

と尋ねると、2人分で372元だという。財布を開くと、手持ちの元が足りない。私は青くなって、

「ドル払いはできませんか。」

と聞いてみた。

「できません。」

窓口職員の答えはとりつくしまもない。私たちの後ろではちいさな行列ができていた。

 

「すみません、すぐに両替してきます。」

と言うと、私は売場を飛び出して、全速力で駅近くの銀行へと向かった。売場とは少し離れているが、先ほど銀行があるのには気づいていた。「行列もできていたし、急がないと2等寝台も売り切れてしまうかもしれない。」そう思うと暢に事情を説明する余裕もなく、私は走っていた。銀行に着くと、後から追いかけてきた暢が

「なぜ最初に金が足りないって分からなかったんだよ。あらかじめ両替しておくべきだろう!」

と怒鳴った。

 

私は「いくらかかるかなんて、値段を聞くまではわからなかったではないか。『たくさんお金を持ち歩くと危ないし、空港の両替所のレートは悪いから、両替は少なめにしておこう。』と昨日いったのは自分ではないか。今日は切符売場を見つけることも交渉をすることもせず、『中国語はわからないから。』と、私にばかりなにもかもおしつけて、ただ後ろから、のこのことついてきているだけで、何もしていないのに文句ばかり言うな。だいたい自分の旅行だという顔をしておきながら、なにもやろうとしていないではないか・・・。」と暑さと疲れもあって、怒りがどんどんとわき上がって来た。しかし、ここでそれをぜんぶぶちまけてしまったら、お互い傷つくだけだ。旅行を続けるのも難しくなる。たった2日で私たちの旅が終わってしまう・・・。口を開くと怒りを抑えきれなくなりそうなので、私は返事もせず、両替を済ませると、暢を押しのけて切符売り場の方向へと急ぎ足で戻った。

 

幸い、切符売り場の窓口の職員は席を確保して待っていてくれた。なんとかこれで「入手ほぼ不可能」と言われていた2等寝台のチケットが手に入った!大きな山を登り終えたかのような爽快感があふれる。ぴりぴりしていた空気もすこしなごんできた。私は走ったのと怒りからか、顔を真っ赤にしていたらしく、暢が心配して

「食堂にでも入って、涼もうか。」

と言った。朝から出かけて切符を取っただけなのに、いつの間にかお昼近くになっていた。

 

それにしても、暢も少し言いすぎたと思っているのだろう。私をねぎらってかけてくれたその言葉に、暢の気持ちは読みとれた。暢自身、やりたいのにやれないという歯がゆさがあり、それでも私にいろいろやらせるのは、私を早く旅に慣れさせようとしているからだろうということは、頭ではわかっていた。しかし、いらいらした態度をあからさまにされると、こちらもかちんとせずにはいられなかった。そうはいっても、私たちは喧嘩をするために旅に出たわけではない。お互いに旅を楽しむために、ここにやってきたのだ。暢も同じ考えなのだろう。私は「切符を取り終えたら、暢に言ってやろう」と、喉元まで込み上げていた矢のような言葉の数々を、自分の中に呑み込んだ。

 

私はまだこの時、暢への不満はいろいろと見えてきていても、自分の悪いところについては全く見えていなかった。そのことに気づくのは1ヶ月後、カザフスタンで立て続けにアクシデントに見舞われたときである。その時まで(それから後も)数々の諍いがあったが、そればかり述べてもしかたないので、旅での素晴らしい出会い・感動について次回は述べようと思う。西安への初めての列車旅行が、その素晴らしい出会いの最初のひとつであった。(つづく)