16:パキスタン国境の街・タシュクルガンへ

 カシュガルへ着いた翌日、再びバザールを見たり、インターネットカフェにいったりして、市内で一日のんびり過ごした。次に待つ、パキスタン国境の街であるタシュクルガンへの旅に備えて充電した、と言ってもよい。タシュクルガンへのバスは、バスターミナルからではなく「キニワカ賓館」というカシュガル市内のホテルから出発する。翌朝、私たちは水とビスケットを買い込んで、キニワカ賓館へと向かった。

 

キニワカ賓館にはたくさんの旅行者がバスの出発を待っていた。たくさんの旅行者を魅了してやまない、カラコルムハイウェイをこれから走るのかと思うと心が躍る。

「フンザに行く人はパスポートを出してください!」

乗務員が声をかけた。パキスタンに行く人は、パスポートのチェックがあるのだ。私たちは国境は越えず、その手前のタシュクルガンで1泊し、カシュガルに戻ってくる旨、説明する。パスポート集めが一段落すると、今度は自転車を荷物として乗せようとしているある西洋人旅行者と、乗務員がもめている。

「自転車一台乗せるのに、500元もとるなんて、人間並じゃないか!」

たしかに自転車は座席が確保されるわけではなく、荷物として屋根に載せられてしまうのに、法外な値段だ。「高すぎる!」と怒るのではなく、「人間並だ!」という表現が面白い。彼は気の毒だが、500元で乗務員におしきられてしまったようだ。せっかく自転車で大陸横断して、安く旅行しようとしているのに・・・。タシュクルガン行きのバスを待つ人々の列の中には、たくさんの日本人もいる。大半が学生のようだが、それにまじって中年の男性が一人、猛弁をふるっている。

「最近ここらの宿が高くて、腹がたつ。むかしからのなじみだと言っても10元で泊めてくれないのだから・・・。」

若者ならともかく、いい年をして、でっぷり太り、頭の禿げ上がった中年男がそのような発言をしているというのはこっけいに思える。彼はこの辺りによく来る長期滞在者で、ドミトリーに泊まって、日本人旅行者の世話を焼くのが楽しみらしい。

「昨日の包子屋さん、おいしかったです」

という女子学生の言葉に、

「そうだろう!」

と、得意げに頷いていた。バスに乗り込んだ後、彼は日本人学生達に、イチゴ味の飲むヨーグルトを配り、おもむろにバスを降りた。そしてポケットに隠し持っていた、もう一つの飲むヨーグルトを取り出して、子どものように立ち飲みを始めた。彼がわざわざ見送りのためだけに、ここにいたのだ、ということに驚くとともに、横柄なものの言い方と、子どものような振る舞いのギャップが、私には再びこっけいに思えた。

まもなく、パキスタンへ行く人たちのパスポートのチェックが終了し、返却のため一人一人の名前が読み上げられた。

Mr.アオヤマ!Mr.アオヤマ!」

乗務員が名前を連呼する。しかし、日本人の青年、アオヤマ氏はどうやらいないようである。前の席の2人が、

「彼は宿泊費を払わないで、この宿を出ようとしていたからなあ・・・。」

と言った。泊まり逃げ(?)がばれて、フロントに呼び出されたようだ。他の乗客は全員そろい、もう準備ができている。彼さえ戻ってくれば、すぐに出発できるのだが・・・。5〜6分待っただろうか。アオヤマ氏が駆け足でバスに近寄ってきた。茶髪でロングヘアの今風の若者である。20過ぎだろうか。アオヤマ氏は私たちの後ろの座席に座ると、

「宿泊費払ってなくたって、押金払ったんだから、同じじゃねえか・・・。」

と、ぶつぶつ言っていた。でも、チェックアウトの手続きはきちんとするべきだろう・・・。ともかくバスは出発した。このような若者もいるが、私たちの前の席の日本人学生は、2人とも礼儀正しくてういういしい。彼らはカラクリ湖にある「パオ(包:遊牧民族独特のテント)」に泊まるという。

「そういう宿泊場所もあったのか・・・。」

と、暢は少し悔しそうだ。でも、カラクリ湖でとどまらず、タシュクルガンまで行く価値はあるだろう。バスはぐんぐん山道を登っていく。窓の外では、真夏にも関わらず雪を頂いた、カラコルム山脈の美しい山々が私たちを出迎える。山道のすぐ横は、切り立った崖だ。崖の下は茶色の河がとうとうと流れている。その河を挟んだ向かいもまた崖だが、そちらは土砂崩れを起こしているところも多い。この道の側も土砂崩れに呑み込まれたら・・・と考えると恐ろしくもある。しかし、それをうち消してしまうほど、車窓の景色は雄大だ。カラコルムハイウェイの途中では「温泉」の看板を見つけ、驚いた。しかし日本の温泉のように整備されているわけではないのだろう。看板は小さく、貧相だった。温泉を通り過ぎ、再び山々のすばらしい眺めに時を忘れていると、突然湖が現れた。これがカラクリ湖だ。真っ青な湖面に白い雲の影が映って、本当に美しい。もちろん湖の向こうには美しい山脈が見える。青年たちが言っていたように、宿泊用の白いパオが湖のほとりに点在している。ここに泊まって、夜、星空を眺めたら、きっと美しいことだろう。予想以上のカラクリ湖の美しさに直面して、私もここに泊まれないことが少し残念になった。カラクリ湖からまたしばらくバスに揺られて、夕方5時にタシュクルガンに到着した。この街に宿泊したあと、カシュガルに戻る私たちだけでなく、パキスタンに行く旅行者たちも、皆ここで一泊して、翌朝パキスタンに向かうとのことだ。

 

タシュクルガンは小さい街なので、ホテルの選択肢はいくつもない。長居するわけでもないし、もう夕方になり、いろいろと探すのも面倒だったので、バスの停まったすぐ近くの「交通賓館」に泊まることにした。今晩はお風呂も無理に入る必要もないので、普通間(バス・風呂共同の部屋)にする。私たちがチェックインを済ませると、フロントで韓国の青年が困っているのが目に入った。彼は中国語が話せないようだ。

「ここはいくらで泊まりましたか?」

と、英語で彼が聞いてきたので、金額を教えた。彼もここに泊まることに決めたようだ。しかし、話し合っている姿をフロントが見て、彼を私たちの「仲間」と思ったらしく、青年は私たちと同じ部屋になってしまった。私たちは部屋に荷物を置くと、もう夕方であるが、急いで散歩に出た。タシュクルガンの街は小さくて、端から端へ歩いても2キロくらいしかない。私たちの泊まっている交通賓館は街の入り口のほうにあるが、唯一の見どころである、石頭城は交通賓館と反対の街の端にある。街のメイン通りもまだ全て舗装されているわけではない。日の傾いた砂利道をてくてくと歩く。道行く地元の人々はウイグル人が多いようだが、それに混じって、かわった帽子をかぶった女性を見かけた。

「タジク族だ。」

と、暢が言った。ピンク色の嵩の高い帽子をかぶっている。彼女に暢がカメラをむけると、彼女は露骨にいやがった。少数民族の人々は、写真を撮るのを拒むことがある、というのは聞いたことがあったが、実際に拒まれたのはこれが初めてだった。

 

石頭城についた。城という名はついていても、いまでは土と石の瓦礫の山だ。岩登りをするように城を「登る」。入り口も何の表示もないのね・・・、と思っていると、小さな門と、もこもことした帽子をかぶった、一人の老人が現れた。

10元。」

老人は短くつぶやいた。入場料をとるらしい。老人は門番なのだろう。石頭城の中に入ってみるが、いけどもいけども石しかない。とくに何も見るべきところはないようなので、途中でひきかえし、門番の老人と写真を撮った。暢は、

「おじいさんもタジク人なんじゃないかな。」

と言った。

 

石頭城の先の街外れには湿地帯がある。全般的に乾いたイメージの新疆に、水豊かな湿地帯があるのが珍しい。山の雪解け水が流れ込んでいるのだろう。湿地帯には羊が放牧されている。せっかくの山の清水も羊の糞だらけになってしまっているので、「きよらかな水」というには程遠いが・・・。まもなく日暮れなので農民たちが家畜を追い、帰り支度をしている。このようなのどかな風景にみとれていると、たくさんの子供たちがまわりにやってきて、口々に

What is your name?

How old are you?

と話しかけてきた。彼ら、英語はこの二つのフレーズしか知らないらしいが、とても人懐こくて、可愛らしい。先ほど写真を断られたことを考えても、大人はどちらかというと観光客との接触を嫌がるようだが、子供は無邪気に寄ってくるようだ。夕暮れも迫ってきたので、子ども達とさよならし、私たちは夕食をとりに出かけた。この街では飲食店も少なく、これまた選択肢はない。しかし、私はタシュクルガンにくるに当たって、「パキスタン料理」が食べられるというので、非常に楽しみにしていた。毎日同じ味付けの、ウイグル料理に飽きてきたところだった。ガイドブックには「パキスタン料理店があり、カレーやダル(まめのスープ)にチャパティ、チャイなど、パキスタンが味わえる。」とある。暢にもこの店の事を話し、喜び勇んで出かけた。店に入っておすすめのセットメニューを早速注文。店の外にあるテーブルで座っていると、日本人が一人、二人と寄ってきた。

「この店どうですか?」

「セットで10元らしいですよ。」

「それは安いですね!」

人が人を呼んで、私たちのテーブルには日本人ばかり8人が輪になっていた。一人旅の中年男性を除いては、皆留学生や大学生といった若者だ。中にはあのアオヤマ君もいた。朝はきっといいかげんな人なのだろうな、と良い印象を持っていなかったのだが、話してみると、けっこうしっかりした考えをもっていて、印象が変わった。女子学生も2人おり、西安に留学しているという。ひとりは広島から、ひとりは神奈川からきているそうで、神奈川の子は少しホームシックにかかっているようだった。他愛ないおしゃべりをしているうちに、待望のセットメニューが運ばれてきた。一口食べて、私はがっかりした。カレーはインドのようなカレーではなく、ウイグルのラグマン(拌面)のうどんぬき、というか、これまで食べていたものと同じ味付けの、羊シチューなのである。しかも、ラグマンよりさらに唐辛子を利かせていて辛い。肉も羊の肉で臭い。期待が大きかっただけにショックも大きく、私は半分程でどうしても食事が喉をとおらなくなってしまった。女子学生たちも「辛い、まずい」を連発していて、この店に誘ったことを少し申し訳なく思った。暢は、落胆した私を見て

「ボンカレーみたいなカレーが、ここで出てくるわけ、ないだろう!」

と言った。冗談かもしれないけど、笑えなかった。この店でレトルトカレーが出てくるなどとは私も思っていないし、それもまた期待はずれだが、赤いトマト味の羊シチューではなく、インド料理店で食べるような、何種類ものスパイスが利いた黄色いシチューが出てくると思ったのだ・・・。

 

食事も終わりに近くなったころ、二人の中国人が現れた。明るくて利発そうなショートカットの女性と、日本人にもいるような顔立ちの男性だ。(男性は大学時代の先輩Mさんに似ていた。)彼らは私たちを見て、

「この人たちは誰?」

と女子学生に聞いている。

「明日はどちらに?」

と女子学生が聞くので、

「カシュガルに朝のバスで帰るつもりですが。」

と答えると、

「丁度いいわ!」

と二人は大喜び。

「明日、私たちはミニバスをチャーターしたので、それに乗って一緒にカシュガルに帰りませんか?」

と言う。すると女子学生たちも

「私たちも明日そのバスで帰るのです。」

と言った。今、ここで食事をしている8人の中で、これからパキスタンに向かうアオヤマ君以外は全員、そのミニバスに乗ってカシュガルに帰るらしい。ミニバスの定員まであと二人で、私たちが入ると、人数が丁度いいそうだ。最大人数になった方が一人頭の値段は安くなるのだから、お互いよい話だろう。

「公共バスで行くよりも、ずっと早くて快適よ!カラクリ湖にも寄ろうと思っているの。」

ショートカットの女性は、早口でまくしたてた。「感じがいい人だが、押しも強いなあ、公共バスも快適だったし・・・」と思い、返事を渋っていると、女子学生達が

「私たちはここに来るとき「はずれ」の公共バスに当たってしまったんです。佐藤さんは7時間でカシュガルからついたそうですけど、私たちが乗ってきたバスは10時間もかかったんです。バスもポンコツだったし、あれに当たったら大変ですよ!」

と言った。それでは断る理由もないし、ミニバスの仲間に入れてもらうことにした。

「では明日8時にホテルの前まで迎えに行くわ!」

ショートカットの女性とそのパートナーの男性は颯爽と去っていった。

 

学生さんたちとも別れて部屋に戻ると、とても良いにおいがする。同室の韓国人青年がお香をたいていたのだ。新疆のホテルはどこも羊のにおいというか、トイレのにおいが充満していて、閉口していたが、お香を焚くという彼の知恵に、なるほどと感心する。彼は登山が旅の目的らしく、キャンプ道具全般をザックで担いで移動していて、その中の調理器具を使って、部屋の中で夕食の調理をしていた。彼は、私たちにもゆでたじゃがいもやメロンをわけてくれた。

「あなたの分が少なくなるからいいですよ。」

と断ったのだが、

「いいからどうぞ。」

と優しい。お礼に絵はがきなど渡す。食べながら、話が弾む。彼は、

「中国人はどこへ行っても金、金でイヤになってしまう。地元の人がなんだか臭いし、バスに乗るのもいやだ。」

と言った。確かに、新疆の人々の衛生観念はひどいし、なんでもかんでも外国人料金と言って、現地人の2倍の値段を取られるし、ましてや中国語のできない彼には旅がつらいことだろう。

 

さらに夜が更けて、外に星を見に行った。小さな町なので大通りを離れるともう真っ暗だ。タシュクルガンの海抜が3600mあるからだろうか。空気が良いせいもあるのだろうが、星がとても近い。そして星の数が多く感じる。日本の空の5倍は星があるのではないだろうか。空いっぱいに光の粒をちりばめたようだ。いつまでも見ていたい、と思ったが、さすがに山の村、だいぶ冷え込んできた。部屋に戻り、今日は寝袋を出して寝よう。

 

タシュクルガンは小さい町だが、今までになく日本人に出会った。小さい町だからこそ、出会ったのかもしれない。

(つづく)