6:銀川へ〜天下のCITS?〜

 上海→西安での列車旅行を教訓に、西安→銀川行きは、硬臥(2等寝台)の中鋪(中段)を希望し、席を確保することができた。西安駅の待合室は上海駅同様、たくさんの人でごった返している。発車まで1時間あるが、人々はすでに行列を作っていた。今回は私たちも列に並んだ。待合室は冷房が効いていて、涼しい。そういえば、上海駅でも待合室で冷房が効いていた。「ああ、そうだったのか。」と、わたしはやっと気づいた。これまで中国で列車の切符を買うときに切符代とは別に必ず「空調費2元(約40円)」をとられていた。しかし、列車内では扇風機しか設置されておらず、私は「冷房の費用だけとって、設備はないのか」と、そのことを不満に思っていた。実はこの「空調費」は「列車内の空調」のことではなく、「駅待合室の空調」を利用するための費用だったのだ・・・。あらためて「空調費」の券を見ると、「西安駅」とある。駅の設備まで有償になっているとは思ってもみなかったが、中国政府はそんなところまで、しっかりというか、ちゃっかりしているものだ。それだけ、「列車旅行」はまだまだ「贅沢なこと」なのだろう。「お金のある人からたくさんいただくのは当然」という考え方が、ちょっとかいま見える。

 

銀川行きの旅は静かなものであった。列車内では、雑然として発車と同時に酒盛りが開始されている車両もあったようだが、私たちの乗った車両の人たちはたいそうおとなしい。荷物も少なめである。同じベッドの下段になった中年男性は、道中ずっと本を読んでいた。他の人々もおしゃべりはするが、騒ぐことはない。車内放送もよく聞こえ、懐かしいメロディーがスピーカーから流れてきた。「星影のワルツ」だ。まさかこれは私たち日本人へのサービスではないだろうが、日本のメロディーに、心が和んだ。普段は演歌など聴かないのに、不思議なものだ。

 

車内で1泊し、翌日の朝7時頃目が覚めて車窓を眺めると、雨が降っている。8月上旬の真夏だが、薄暗く、少し肌寒い。銀川はゴビ砂漠の南側にあるバダインジャラン砂漠の東南端にある街だ。10時過ぎに銀川到着の予定なので、そろそろ乾燥した地域に入ってもよいはずである。まだ雨が降っていることを不思議に思ったが、1時間ほどすると雨がやみ、車窓は砂漠に近いことを思わせるステップの風景に変わった。広大なステップを羊の群が通っていく。民家がある様子も、人間の気配も車窓からは見えない。しかし、ステップの中にもきちんと鉄道駅が設置されていた。この列車は特急なのでその駅は通過してしまったが。

 

10時半に銀川に到着。出口が人でこみあっている。この街は11世紀、タングート族によって建てられた西夏という国の首都であった。その初代の王、李元昊は、銀川の郊外にある賀蘭山という山の麓に、自分たちのお墓を建てた。それがピラミッドのような不思議な形をしていて、現在でも見学をすることができ、銀川はそれを目玉とする観光地になっている。観光地だけあって、鉄道駅を出たとたん、ホテルの客引きが私たちに群がってきた。しかし、今日はホテルの手配よりも先にやらなければならないことがある。鉄道駅は街の中心街から離れているので、次に向かう蘭州の切符を今、取っておいたほうがよいのだ。私たちは彼らを除けながら、鉄道駅への入口へと戻っていった。駅の出口から出たとたん、踵を返して入口へと向かって行く私たちを見て、客引きの人々は不思議に思ったことだろう。銀川では外国人用の切符販売窓口はなく、中国人と同じ、1階の切符販売窓口ですんなりととることができた。切符の買い方もすこしスムーズになってきて、うれしい。再び出口へと戻ると、すでに客引きの姿はなく、私たちは公共バスに乗り、中心街へと向かった。バスは人がこぼれ落ちそうなほど混み合っていたが、大きな荷物を抱える私たちを、皆嫌な顔せず、乗れるように協力してくれた。

 

中心街に入ったところで私たちはバスを降りた。すると目の前の緑川飯店というホテルが目に入った。清潔で、フロントの雰囲気も良い。早速ここに泊まれるか聞いてみると、「外国人は泊まることができない(外賓不可)」という。「招待所」という宿屋レベルの宿泊施設では外国人不可のところが多いと聞いていたが、ホテルであっても泊まることができないところもあるのだ。仕方なく、次に見えた銀川飯店にした。清潔さも落ちるし、料金も緑川飯店より高いが、どうしようもない。外国人への差別に、割り切れないようなものを感じる。

 

肌寒かった朝から、昼間はうだるような暑さに変わり、今日はまだなにもしていないのに疲れている。列車であまり眠れなかったのと、公共バスの混雑、さらに身体の半分以上の大きさがあるリュックを背負ったまま、ホテル探しをしていたからかもしれない。しかし、休んでいる暇はない。荷をほどくと、早速西夏王陵の見学について調べるため、街へと繰り出した。

 

西夏王陵は銀川市の郊外にあり、公共バスは通っていないので、見学するためにはタクシーをチャーターするか、ツアーに参加するしかない。中国でも、国内を旅行する現地人というのは必ずいるわけで、そういった現地人むけのツアーに参加した方が、タクシーをチャーターしたり、日本人向けのツアーに参加したりするよりも安く見学できる。持ってきたガイドによると、そのようなツアーは銀川市のとある高級ホテルで扱っているとある。そのホテルに向かってみた。正面玄関に「1日ツアー」と書かれた立て看板がある。確かにここでツアーを行っているらしい。私たちは入口の自動ドアを開け、ぴかぴかに磨かれたロビーへと入っていった。すると小走りで、タキシードに身を包んだ、ベルボーイが近づいてきた。彼は、薄汚れたジーンズとくたびれたTシャツ姿の私たちを上から下まで見渡して、「何かご用でしょうか」と言いながら、目の前に立ちはだかった。私は「明日、西夏王陵へ行くツアーに参加したい」と中国語で書いたメモを見せた。すると彼は早口でなにかをまくし立てた。なにを言っているのかよくわからない。かろうじて「明日のツアーは催行されない」と言っているらしい、ということがわかった。そこで、「明日ツアーは無いのですね?」と再び紙に書いて見せると、彼は「没有!(なし!)没有!(なし!)」とくり返して、早く出て行けといわんばかりに、手を前後に振った。

 

あからさまに身なりで差別されたことと、ベルボーイが何をいっているのかほとんどわからなかったことに、私は落ち込んだ。しかし、落ち込むことよりも、前向きに別の方法を考えなければいけない。ツアーの看板に、巡回コースとして書かれていたホテルがもう1軒あり、念のため、そこにもう一度聞いてみることにした。そのホテルでは先ほどのような応対はされなかったが、やはり明日のツアーは催行しないということだった。同じ企画のツアーなのだし、明日は平日なので、仕方のないことなのかもしれない。西夏王陵にはどうやって行こうか・・・。タクシーをチャーターするしかないのだろうか。しかし、私はガイドで読んだ「タクシーの運転手は王陵について詳しいことを知らないことが多いので、CITSのツアーに参加したほうが良い」という記事のことを考えていた。CITSというのは、外国人の旅行手配をてがけている「中国国際旅行社」の頭文字で、たいていの都市に支社を持つ、中国旅行業界の最大手である。CITSにツアーを頼めば、安全だし、きちんとしたガイドもしてくれるだろう。場合によっては日本語での交渉、ガイドをしてもらうことも可能かもしれない。今まで、自分たちだけで旅行をしてきて、安くあがったし、楽しかったが、名所を見学しているときに、「きちんとしたガイドさんがついていてくれたら、もっといろいろとためになる話を聞けたかもしれないなあ」と思わないでもなかった。しかし、最初にお話ししたように、この旅行では「贅沢は敵」であり、CITSにツアーを頼むということは「贅沢」の部類に入る。よって、CITSのことを私の方から暢にもちかけるのは、はばかられた。そんな風に考えていたちょうどその時、暢の方が

CITSに頼むか。」

と、口を開いた。私はほっとして、

「そうしようね。」

と言って、CITSの事務所に向かった。

 

しばらく歩いて、小さなビルにかかったCITSの看板を見つけた。しかし、建物の目の前まで来ると、玄関のドアが固く閉ざされている。時計を見ると、13時前だ。今はお昼休みなのだろうということで、玄関のドアの前で少し待つことにした。ほどなく、ショートカットで細身の可愛らしい女の子が玄関のカギを開けにやって来た。女優の安田成美の若い頃に似ている。彼女は私たちを見て、

「あのー、日本人ノカタデスカ?」

と日本語で尋ねてきた。CITSで西夏王陵のツアーを申し込みたいのだと私たちがいうと、自分はCITSの職員だという。3階にある応接室に通され、しばらくして、ボスらしきサングラスをかけた30代後半くらいの男性1人と、俳優の山田純大(水戸黄門の格さん)に似た20代前半の青年も1人やってきた。

「それで、西夏王陵に行きたいわけですね。」

と、サングラスのボスも日本語で尋ねる。日本語なので、暢も交渉に積極的だ。料金について交渉したあと、では明日、よろしくお願いします、と言うと、

「今日、今からすぐに行けますよ。」

と、彼らが声をそろえて言う。私たちは面食らって、

「いいえ、明日の予定でしたから。」

と答えるが、今日のほうがいいよ、と彼らは譲らない。午後からで時間も少ないし、昼食ぬきで歩き回って疲れていたので気乗りしなかったのだが、半ば強引に押し切られて、すぐにツアーに出発することとなった。玄関で待っていると、やってきたのはおんぼろのワゴン。どうもCITS所有の車ではなさそうだ。一般の白タクのように見える。しかも、ガイドとしてやって来たのはサングラスのボスではなく、成美ちゃんと格さんに似た、若い2人だ。ふたりは寧夏大学日本語学科の現役大学生だという。運転手に加え、ガイドとして2人もつくこと自体、無駄だし、おかしいと思ったが、彼ら自身、ガイドとして半人前で、勉強中のため、日本語もおぼつかず、王陵についての知識も十分でない。サングラスのボスはきちんとしたガイドなのだろうが、彼が来ず、私たちに学生バイト君があてがわれたことは、高いお金を払って、日本人団体向けガイドの練習台にされ、若い(安い)個人の客だとバカにされたようで、とても不愉快だった。しかも、3つある王陵のうち1つしか回らず、ツアーなのに博物館などの見学料金も自分持ち、さらに「帰りは寧夏大学も見学しましょう」とガイドたちの方から提案してきて「それは彼らに頼んだ甲斐もある、楽しそうだ。」と期待していたのに、王陵の見学が終わると、その言葉はすっかり忘れたようで、さっさと銀川市街へと連れ帰られてしまった。それは、彼らの説明することが何もなくなって、帰りのワゴンで沈黙が生まれたときに、私たちが居眠りをはじめてしまったのも、一つの原因かもしれないが・・・。

 

それにしても、お粗末なツアーで、本当にお金の無駄だった。私は「中国一の旅行社、天下のCITS」という名前に、過剰な期待をしすぎていたのかもしれない。確かに私たちが払うお金は、日本からきちんとツアーを組んでやってくる団体客が払う金額と比べれば、少ないものであっただろう。でも、だからといって、このように中途半端で適当な扱いをしてよいものなのだろうか。暢も述べていたが、自分たちでタクシーを探し、博物館の展示説明を読めば、今日ついてきたガイドたちの役割など、果たすものはなにも無い。「天下のCITSといったって、こんなものなのだ。もう二度と個別にツアーを頼んだりはしないようにしよう。」と、私たちは固く心に誓った。そして今日のことは、「旅行会社に頼めば、もっとよい旅行ができるのではないか」と思っていたが、そういうわけでもないのだと旅行の早い段階でわかって、今後そのような気持ちを持ち続けなくてよくなるという意味では、ひとつの勉強料のようなものかなと思うことにした。(つづく)