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8:蘭州2・炳霊寺〜旅の上級者〜

銀川から蘭州へ向かうY203号という特急列車は、「旅行列車」という位置づけで、通常の特急より少しサービスが良い。二等寝台(硬臥)であっても、テーブルカバーや椅子カバー、ベッドカバーにフリルがかわいらしくついており、回族のお茶である「八宝茶」が無料で振る舞われる。「八宝茶」とは紅ナツメ・リュウガン・クコ・白ゴマ・干しぶどう・白砂糖・氷砂糖がお茶に入っているもので、身体に良さそうだ。温かいので、お腹にも優しい。

 

私は「八宝茶」を飲みながら、先ほど駅の待合室で出会った若い母親と赤子のことを考えていた。貧しい身分の人なのだろう、赤子のオムツがわりに、トレパンの切れ端を使っている。小便であれば、洗わずにそれを乾かしただけで使い回ししているのか、母親も赤子も風呂に入っていないせいなのか、彼らのそばを通ると、すごい匂いだ。でも、なんとかお金を捻出し、列車に乗って、どこかへ行かなければならないのに違いない。私は今、ベッドにフリルがぴらぴらついた寝台車に乗っているけれど、あの母親は赤子を抱っこしたまま、硬い硬座に何時間も座り続けているのだろう・・・。今自分にはそれをどうすることもできないけれど、分かったこととして、この国にも貧富の差はある。そして、それは民族の違いが原因の一つであるように、ぼんやりと思えていた。

 

蘭州に到着した。この街でのハイライトは、炳霊寺石窟というところにある大きな大仏を見ることだ。鉄道駅近くのホテルに荷物を預け、炳霊寺1日ツアーについて旅行社に尋ねに行くが、どこもそのようなツアーは「没有(なし)」だという。またタクシーをチャーターして行くしかないのか、と半分あきらめかけていたが、旅行社で公共バスと船を乗り継いで行けると聞き、バスターミナルへ確認に行くことにした。蘭州の街は黄河に沿って東西に細長い形をしている。旅行社や主なホテルは東側に集中しているのだが、炳霊寺方面行きのバスは西側にあるバスターミナルから出るとのことで、私たちは市内バスを使って西バスターミナルに移動しなければならない。

 

中国の市内バスは乗客をせかしてたくさん乗せようとすることは、西安・兵馬俑のくだりでも書いたが、乗客の回転を良くするために、バスの運転自体も荒っぽくなる。年がら年中クラクションを鳴らし続けているし、狭い道をむりやり追い越したり、猛スピードで駆け抜けたりする。今まで事故に出会わなかったのが不思議なくらいだ。しかし、ついに自分たちが乗っていたバスで事故が起きた。交差点で自転車を巻き込んだのだ。鈍い衝撃音がすると、車掌が「降りて降りて」と、慌てて乗客をおろす。バスも自転車の男性も血まみれだ。私はちらっとみただけでげんなりし、直視できなかった。危険とは常に身の回りにあるものだ、と身震いした。

 

バスを中途半端なところで降ろされて、私たちはうなだれたままで西バスターミナルに歩いて向かった。途中で喉が渇き、飲み物を買った売店では親切にもストローをさしてくれたが、それが泥にまみれていて、気持ちがますます萎えた。なんとかたどり着いたバスターミナルでは、炳霊寺行きの船が出る劉家峡というところまでバスがあることが確認できたが、窓口の女性は「保険がないから」とバス券を売ってくれない。後で知ったことだが、蘭州のある甘粛省では外国人に対して旅行保険に加入することを義務づけており、その証書が無い限り、バス券を売ってもらえないのだ。しかも、保険は保険会社か旅行社・主なホテルで加入しなければならず、バスターミナルでは加入できない。窓口で西側バスターミナルから一番近いという保険会社のある場所を教えてくれたが、今日はなんと休業日。結局、先ほどツアーについて聞いた東側にある旅行社まで戻ることになった。バス券を取るだけでこんなに手間取るとは思ってもみず、西へ東へと歩き続けているといい加減にくたびれ果てて、ふたりともとうとう市内バスで居眠りしてしまった。盗難への警戒心など、どこかへ行ってしまったようだった。幸いその日は何も起こらなかったのだけれど。

 

保険に加入して、もう一度西側バスターミナルへと向かった。これで劉家峡行きの券は確実に確保できるが、どうせなら明後日夜行で向かう予定の、敦煌行きも買ってしまおう、と私は思った。銀川では前日で蘭州への切符が売り切れだった。バスと列車では勝手が違うかもしれないが、寝台バスなら売り切れもありかねない。今日買っておけば安心だ。暢は

「敦煌行きは東側バスターミナルからしか出ていないんじゃないのか?」

と言ったが、私は

「バスターミナルの路線表に『敦煌』の文字があったよ。」

と言って、一応聞いてみることにした。

「明後日の夜出発の、敦煌行き寝台バスはありますか?」

と、窓口の女性に聞くと、それについてはすぐに答えてくれず、まず、

「どこからきたの?学生さん?」

と聞かれた。これは外国人料金があるからなのだが、正直に

「日本からです。学生ではありません。」

と言った。窓口には「学生・先生は中国人料金になります」という貼り紙が貼っており、これまでも幾度となく「学生さん?」と聞かれたので、本当に学生だったら、もっと安く旅行ができるのに、と少し悔しくなった。続けて窓口の女性は、

「何歳?いつ中国に来たの?彼(暢)との関係は?」

と、バス券購入には関係ないだろうと思われる質問をつぎつぎとしてくる。私は彼女の好奇心につきあって世間話をするより、敦煌行きがあるのかないのかを早く教えて欲しいと思って、

「敦煌行きの寝台バスはあるのですか?」

ともう一度聞くと、窓口の女性は自分の目の前にあるコンピュータのモニターを指さして

2分待って」

と言った。発券システムの交信に2分もかかるらしい。その間外国人とおしゃべりしてみたかった、ということだ。2分後、無事上下1つづつの寝台席を確保することができた。

 

ホテルに戻ってガイドブックを確認したところ、蘭州から劉家峡まで車で約2時間、劉家峡から炳霊寺石窟まで船で約3時間、劉家峡から蘭州へ戻るバスは夕方4時までしかないとのことなので、明日も早起きしなければならない。劉家峡行きの始発バスは7時半。バス・船が順調にいっても、炳霊寺の見学時間は30分ほどしかない。忙しい旅になりそうだ。

 

翌日は朝6時にホテルを出発して、バスターミナルに向かった。バスターミナルにはバックパッカーも多い。日本人もいる。西洋人も5・6人いる。中にはスポーツタイプの自転車を積んでいる人もいる。自転車で中国大陸を横断するのだろう。このような風景を見ていると、なんだか旅らしくなってきた・・・と感慨深いが、7時半になっても劉家峡行きのバスがこない。8時を過ぎて、やっと乗り込むべきバスが到着したが、すぐに出発する気配がない。「帰りのバスに間に合わなくなるじゃない!」と気持ちばかり焦る。でも自分たちと同じバスに西洋人3人と日本人青年2人が一緒に乗り込んだのを見て、少しほっとした。西洋人のほうはバックパックを持っているので、今晩劉家峡に泊まるのかもしれないが、軽装の日本人のほうは蘭州に戻るつもりらしい。彼らと何とか話をつけて、バスに間に合わなくても、4人でタクシーに相乗りして帰れば、少しは安くあがる・・・そんなことを考えていた。8時半になってバスがやっと出発した。私たちのやや後方に乗り込んだ日本人青年たちは、私たちが日本人かどうかについて話し合っている。

「ふたりとも日本人かなあ。」

「でも、ちがうんじゃないか。よくバッグを見ろよ。片方のバッグは立派だけれど、もう1人のバッグはどう見ても中国人的だぜ。」

立派なバッグというのはたぶん暢のディパックで、中国人的だというのは私の布バッグのことだろう。たしかに灰色がかった青で、中国で売っていそうに見えなくもない。でも、私のバッグは京都の一澤帆布製で、「一澤帆布」とロゴが大きくバッグに縫いつけられている。遠目だし、漢字だから、中国製のものと思われるのも当然だ。なにより私がそういう名前である、名札のようにも見える。本当はバッグよりも、私の身なりが中国的だからそういう話になるのだろうね、と暢と目を合わせて、苦笑した。

 

バスは山道を走る。おんぼろバスなので、スピードもゆっくりなうえ、揺れる、揺れる。このペースでは2時間では劉家峡に着かないだろう、でも行けるところまで行ってみよう、などと思う。それにしても、車窓から見た山々の雄大なこと!これを見ただけでも良しとするか…と考えていると、

「炳霊寺下車!」と車掌が叫んだ。慌てて降りると、目の前にある売店から人が駆けだしてきた。いきなり、私たちに

「日本人?

と聞くと、船の写真を取り出して説明をはじめる。快艇と普艇があって、快艇は1100元、普艇は一人60元だという。私はしまった、と思った。まず、船の料金の相場がどれくらいなのかがよくわからない。さらに、船に快速と普通があるだなんて、知らなかった。きっとこの言い値はふっかけられているに違いないのだが、どれくらいふっかけているのだろう・・・。そんなこんな考えて、ちょっとうろたえたすきに、さらにやんややんやと船頭たちが集まってきて、周りで「うちの船はどうだ」「早く決めてよ」などとワーワー言い出した。中国人のグループは早口でどんどん交渉を進めている。暢にも横から「時間がないぞ」と言われ、ますます気持ちばかり焦る。「困ったなあ」と、ただおろおろしていたら、バスで一緒だった西洋人の1人が

「一緒に行きませんか?」

と声をかけてくれた。この人はドイツの男性で、今はスイスで教師をしているという。彼は、英語も中国語もペラペラだし、うまく交渉してくれそうだ。すかさず暢が「乗った!」とばかり

「そうします。」

と答えた。すると、

「君たちは4人か?」

と聞かれた。同じバスの日本人青年達と一緒のグループだと思っているのだ。そういうわけではないのだけれど、人数が少しでも多い方が安くなるということで、暢が彼らに声をかけた。しかし彼らは自分たちが一緒にいくかどうかは値段による、という。そんなこと言わないで、話がスムーズにいくように、ごねずに一緒に行こうよ、と私は思ったが、

「彼らは値段によると言っています。」

と、暢は正直にドイツ人先生に話した。しかし、彼は気を悪くするわけでもなく、それは当然だよね、という感じで、交渉する気満々だ。これがきっと、変に遠慮することなく、交渉すべきところは交渉する、という、旅をする上での基本的な考え方なのだ、と私は学んだ。ドイツ人先生が船頭の1人と交渉したところによると、快艇が160元になるという。しかも、この船に往復乗れば、ゆっくり炳霊寺を見学しても午後4時までに劉家峡へ戻ってこられるという。それを聞いて、日本人の青年がバスの時間を売店の店員に再度確認した。夕方4時台にバスは確実にあるし、4時以降も(ガイドではないということだったが)バスがあるという。彼のきびきびした行動に、ボンヤリ立っているだけの自分が、少し情けなく思えた。

 

交渉が成立し、炳霊寺へと船が出発した。劉家峡から劉家峡ダムを遡って炳霊寺へ向かうのだが、劉家峡ダムは青河という河をせき止めてできており、水が青い。(光の加減で緑色に見える。)しかし、ダムから合流している黄河へ水が注ぐとき、水が突然緑色から黄土色に変わるのだ。不思議だ。上流にあるトウ河に入ると、周りが奇岩に囲まれた風景となり、それと河の水とのコントラストが絶景。ふと河の中州に目をやると羊の群がゆったりと草を食んでいる。美しい風景に、ドイツ人先生と暢は甲板にでて写真をとるのに夢中だ。スピードを出して走るボートの風も心地よい。

 

1時間半ほどで、炳霊寺に到着した。船を降りるやいなや、土産物売りの子供達が駆け寄ってくる。カップラーメンの空き容器に小石を入れて、みやげ物として売っているのだ。子ども達は皆、小学生くらいだ。どの子も可愛らしいけれど、子どもの可愛さを利用して、観光客に取り入ろうとする、こういった商売のやり方はあまり好きではないので、私は何も買わない。桟橋から少し丘を登って炳霊寺の中に入ると、後をついてきた子供達も離れていった。炳霊寺は修繕工事をしているのか、工事中で見学できない石窟が多く、少し物足りない感じだが、ハイライトの第171石彫大仏はスケールが大きくて、素晴らしい。これが見られただけでも、来た価値はあると思ったが、ここを見てしまうと、見学ももう終わりか・・・と少し寂しく思っていると、日本人青年たちが「上寺に行きませんか」と誘ってくれた。ここからさらにまた丘を登ったところに、ラマ教の秘仏があるというのだ。彼らの前で耕耘機を改造したようなミニタクシーが待っている。青年の1人、眼鏡の青年は(今後メガネ君とする)乗車賃を110元だというタクシーの運転手に

5元でどう?」

と簡単に、しかしながら強い調子で言って、しっかり値切ってくれた。料金交渉って、こんなに簡単でいいんだ・・・、と私は感心した。先ほども子ども達に

「小学生なの?」

と彼は尋ねていたが、思い返せば彼は簡単なフレーズで、しかししっかりと人々とコミュニケーションをとっている。目からウロコだった。なにも、文法に沿って、きちんとした文章で話をしなくても良いのだ。いや、むしろ、単語に疑問詞をつけただけの簡単な文のほうが、意思の疎通がしやすいに違いない。この「○元でどう?」「○○なの?」という表現は、その後の旅行で大活躍した。そしてそれは中国語に限らず、どの国の言葉でもいえることだった。

 

耕耘機タクシーにガタガタと揺られながら、10分ほどで上寺に到着した。門をくぐるとチベット僧侶の服装をした少年とおじいさんがいる。本堂にはいるとお香の匂いがしてきた。もう1人の青年、ヒゲさん(ヒゲに長髪なので)が、

「チベットっぽくないな」

と、感想を述べる。「知っている」というのは、それだけで素晴らしい。いままで沢山の寺・仏像を見てきたのだろうなと思わせる。少年僧が本堂の電気をつけると、奥の方に仏像6体とご本尊らしきものがあるのが見えた。ご本尊はガラスの向こうにあって、どんな姿なのかよく見えない。外に出るとタクシーの運転手が、

「ガラスの向こうにあるのはこれだよ。」

と言って、写真を取り出して見せてくれた。仏像に胸のふくらみがある。明らかに女性の体型である。このような仏像は珍しい。運転手はさらに別の建物に私たちを案内した。この中には椅子に座った形の仏像があり、唐代のものだという。上寺には全部で3つの窟があって、1がさきほどの女性のような仏像があったもの、2がこの椅子に座った形の仏像があるもの、3はすこし遠くにあるらしい。あらためて外側を見てみると、大きく真っ赤なペンキで「2」という数字が書かれている。文化財にこのようなことをしてしまう、この国のセンスに、4人で苦笑した。ヒゲさんは仏教に詳しく、やはりすでに様々な国で寺を見てきているそうで、こんなに寺ばかりまわるのは、どうやら宗教関係の人であるかららしい。もうかなり長い間日本を離れているようだ。メガネ君の

「いろいろ事件があったから、ヒゲさんは日本から逃げてきたんですよねー。」

という冗談を本気にしたわけではないが、もしや当時話題になっていたオウムの関係者なのかしら?などとちょっと思った。ヒゲさんからは、長く一人旅をしてきた人の退廃的な香りと、厭世的な雰囲気が感じられた。

 

船着き場へ戻ると、ドイツ人先生をはじめ、西洋人の皆さんが既に待っていた。全員で劉家峡に戻るものだと思っていたが、西洋人の皆さんは劉家峡とは別の船着き場から夏河というところへ行って泊まるという。夏河の上流にも見たい寺があるらしい。どこで情報を得るのかわからないが、良くこの土地のことを知っていて、この人達もすごいな・・・と思った。

 

劉家峡に着くと、ちょうど良く蘭州行きのバスがやってきた。打ち解けてきたせいか、メガネ君が私たちの分もバス料金の交渉を買って出た。車掌が

「どこから来たの?」

と問えば、メガネ君は

「広東人です。」

と答え、

「嘘でしょう。バス料金は外国人料金を払ってくださいね。」

と見破られると、

「外国人は保険に入っていて、タダでさえ高い料金を払っているのだから、そのうえ外国人料金を払うという必要はない。」

と言い返す。なんともたくましい限りだ。車掌とのやりとりが終わっても、メガネ君の外国人料金に対する怒りはおさまらなかったので、メガネ君は中国という国自体も好きではないのだろうかと思ったが、メガネ君の将来の夢は「中国で働くこと」だそうで、天津の大学を卒業した後、中国の会社に就職したいということだった。

 

今日は、ドイツ人先生・メガネ君・ヒゲさんという旅の上級者とともに旅をした。彼らと旅することで、自分はまだまだ旅の初級者なのだなあと改めて感じたが、彼らのような上級者から少しずつ旅の処世術を吸収して、だんだん旅に慣れていきたいものだと思った。

 

蘭州の美味しい店

     レストラン名店坊(迎賓飯店近く)ザーサイと豚肉と春雨のスープ(6元:120円)がおすすめ。お茶のサービスがすばらしい。

     辺家餃子2号店(和平飯店近く)餃子を斤単位で食べさせてくれる。1斤は約60個。(10元:200円)炒め物などの一品料理もある。

     蘭州は牛肉麺の本場。馬子禄牛肉面館などが有名だが、自分のカンを信じて、地元の人で賑わっている店にどんどん入ってみよう。

(つづく)