9:蘭州から敦煌へ〜寝台バスの旅〜

中国での長距離移動は今までもっぱら鉄道を使ってきた。しかし、次の目的地、敦煌へは蘭州から寝台バスで向かう。夜行バスという制度は日本にもあり、私も1度利用したことがある。日本の夜行バスの座席は飛行機の座席のようにリクライニングできる普通の椅子だ。しかし、中国の「寝台バス」はその名の通り、電車の寝台車にあるようなベッドが、バスの中に設置されている。そのことはガイドブックを読んで知っていたのだが、実際乗車してみると、意外な事実に驚いた。

 

私たちがバスに乗り込むと、左右に分かれて2段ベッドが並んでいた。上段も下段も結構広い。バスのフロントガラスに「豪華臥輔」と書いてあったので、さすが「豪華」だな、と感心する。しかし、それはぬか喜びだった。車掌のおじさんはバスの入り口で私たちの荷物を受け取り、座席まで運んでくれた。私たちは一昨日、バスターミナルで「上段と下段一枚ずつ」の乗車券を買ったはずだ。しかし、おじさんは私たちの荷物を二つとも上段に置く。どういうことだろう。「ここだ」と言って、おじさんは荷物を置いた上段のベッドを指さした。よく見ると、ベッドのマットレスには真ん中に細い溝が1本通っている。なんと広いベッドだろう、と感心したこのベッドは、シングルではなく、なんとダブルベッドだったのだ。ベッドの幅は1メートルあるかないか。1人で使うなら、大変ゆったりした広さだが、2人で使うとなると、非常に狭い。寝たまま気をつけをして、そのまま寝返りもできないような状態だ。幅が狭いのに、足下に大きな荷物まで置かれてしまったのだから、長さまで短くなり、これでは猫のように小さく丸まって眠るしかない。このように狭い場所しか与えられないのは、何かの間違いではないかと、下段を見たが、既に別の人が陣取っていた。

 

暢は怒りにふるえて、

「一昨日、上段と下段1枚ずつ、と言ってチケットを買ったのだから、これは不当な扱いだ。狭すぎる。おかしい!」

と言って、いまにも車掌のおじさんになぐりかからん勢いだ。とにかくおちついて、状況を周りの人にも尋ねてみよう、と見回すと、隣の上段にも、若い女性が2人で座っていた。彼女らに私たちのチケットを見せて、

「私たちのチケットは上段ですか、下段ですか。」

と聞くと、

「上でも下でもいいんだけど…。」

という曖昧な答えが返ってきた。と、いうことは、上でも下でも良いけれど、上も下も使える、ということではないのだ。彼女らが2人で上段に座っているところをみても、やはりこのベッドはシングルではなくダブルベッドで、一つのベッドを2人で使うことになっているのだな、と理解した。暢が脇から、

「この人たちのチケットの方が安いぞ。」

と指摘する。彼女らの話をさらによく聞くと、途中駅の張エキで降り、敦煌までは行かないのだそうだ。暢もやっと納得した。整理すると、私たちは確かに上段と下段でチケットを取り、上段下段で1人分ずつの席はあるのだが、このように狭いダブルベッドに知らない者同士で一緒になるよりは、夫婦で一緒にしてやろう、と車掌が考え、上段に2人の荷物を置いた、ということになる。下段の方が少し料金が高いので、二人とも上段にされてしまったという点では、少し料金を損してしまった形だ。暢に

「私たちは二人連れだからいいけれど、ひとつのベッドに毛布も1枚しかついていないし、知らないおじさんと隣同士になったりしたら、イヤだね。」

と言うと、暢は

「たとえ男同士でも、こんなに密着して移動するのは御免だ。」

と答えた。

 

出発時刻を1時間ほど遅れて、バスが西へと出発した。遅れは気にしないのか、出発してすぐに給油休憩をとる。なぜ出発前に給油しておかないのだろう、と思う。さらに2時間ほど走って、バスが食堂の前で停車した。食事休憩をするという。食事といっても、もう夜10時だ。遅れているのだし、食事などのんきに取っていないで、少しでも先に進めばいいと思うのだが・・・。細かいことをいちいち気にして、焦ってもしかたがないということなのだろう。食堂には「清真(イスラム)」の文字が掲げられている。宗教上食べられない物のある、回族の人たちに気を遣って食堂を選んでいるのかもしれない。もうすっかり夜も更けているのだが、食堂の中では小さな子供が店を手伝っている。トイレの案内をしたり、椅子の用意をしたり、お皿に煮卵を乗せて売り歩いたり・・・。自分より大きな椅子を引きずりながら動かして、その椅子によじ登って、食卓の上に一生懸命箸を並べている姿に、これが昼間だけならいいけれど、こんな夜中まで子供を働かせるとは、いや、働かせざるを得ないとは・・・と、考えさせられた。

 

下世話な話になるが、今回のバスの旅できちんと「トイレ」という場所に入ったのはこの食堂が最後であった。あとは23時間おきに道ばたで停車するだけ。街灯もなく、民家もなく、周りにあるのはただの野原だ。持っていたガイドブックに「野原でトイレをしなければならないこともあるから、寝台バスの旅では女性はフレアスカートか少し丈の長い上着を来ておくと良いでしょう」と書いてあったが、確かにそういう場面に出会った。夜中は真っ暗なので実際は何も見えないし、見る人もいないのだけれど、足下が隠れているのは、一応気休めになる。夜が明けてからは、運転手も気を遣っているのだろう、野原ではなく、トウモロコシ畑や草むらのあるところで停まった。私は旅の中でこういうこともあるだろうと、トイレのことはある程度覚悟していたのだが、同じバスに乗っていた、ある女性は「トイレだ」と言われて降りたトウモロコシ畑を見て「OH,MY GOD!」と叫んだ。

 

しかし、文明と反比例するかのように、周りの景色が美しくなっていく。見渡す限りの地平線、雪を戴いたチレン山脈の山々・・・そして昨日の夜空の満天の星々。張エキを過ぎて、砂漠が続き、嘉ヨク関で駱駝の群を見ると、いよいよ西にやってきたのだなという思いが強まった。

 

(つづく)