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イラン11(No.47)ディージーと洞窟〜ハマダン

【ハマダンへ向かう】

113日(晴れ)

ホテルをチェックアウトして、バスターミナルへ。バスターミナルは昨日マサトに聞いたとおり、たしかに整備されていて、美しい。バスターミナルまではタクシーで来たのだが、その運転手は片言の英語で「ヨーロッパ、large , but China , Korea , Japan…Boo!!」という。料金を払うとき、東洋人はこすくて、西洋人は値切らないということなのか?(そんなわけないと思うが・・・)マサトはバスターミナルの待合室にて航空学校(エンジニア)の学生達と親睦。

 ハマダン行きの乗客を観察してみると、、色の白い人、目の青い人、赤毛の人など、今までの都市で見た一般の「イラン人」と違う人が多い。少しずつヨーロッパに近づいてきているからだろうか。

途中のレストランで、私はホレーシュ、マサトはジュージェケバブを食べる。運転手の選ぶレストランは、街に比べると少々高めだが、(ドライブインとはそういうものか?)どこもおいしい。ハマダンでの宿は、ヤズ・ホテルは高かったので、オルディベヘストへ。ここはもう「ホテル」ではなく、「安宿」だ。2人で15000リアルと安い。ただし、シャワー・トイレは共同。部屋はシンプルで清潔だ。マサト、さっそくシャワーをあびる。「何かクサイ」という。確かにクサイ。羊臭いのだ。しかし、新疆に比べればこれくらい・・・。快適、快適。(と自分に暗示をかける。)

 

【洞窟見学】

114日(晴れ)

サヴァリに乗って、バスターミナルへ。バスターミナルで、次の目的地ラシュトへの直行便があることがわかり、ちょっと安心。

今日の観光の目的は「アリサドル洞窟」だ。洞窟へのバスはミニバスで、今いるバスターミナルから少し離れた、わかりにくいところに乗車溜りがある。人にききながら、アリサドル行きのミニバスを探す。幸い、出発直前のアリサドル行きがあった。バスにのってしばらく走ると、デモ隊の姿をみかける。

後に同乗した自称「化学科教師」のイラン人男性に「今日はアメリカ大使館襲撃記念日なのです。」と教わる。アリサドル近くの街中でもデモ隊がおり、アメリカの象徴「のっぽのサム」を少年達が血祭りにあげている。

アリサドル洞窟へ到着。シーズン・オフのため閑散としているが、幻想的な魅力は変わらない。寒さは思ったほどではなかったが、それでもずっと中にいると寒い。入り口で入場券を買い、階段下のみやげ屋兼カフェをすぎて、洞窟の中へと降りていくと、洞窟内の池にボートが浮かんで待っている。このボート、驚くことに足こぎで、船頭ともう1人、観光客から選ばれた中年男性がひたすら足でボートをこぐ。のこり2人のイラン人観光客とわたしたちは足こぎのついていないボートにのせてもらい、牽引された。この、ボートでの呑気な見学がなかなか楽しい。イラン人は船頭の話(ガイド)がわかるので、もっと楽しいのだろう。(船頭の話はもちろんペルシャ語である)

鍾乳石はカリフラワーのような形状のものが多く、子どもの頃見た、山口県の秋吉台に比べると、石の形自体のレパートリーは少ないように見えるが、限りなく澄んだ水が、洞窟に溜まっている様はすばらしい。シーズン・オフのため、遊歩道までは行ってくれず、Uターン。残念。しかし、来て良かったと満足できるものだった。

洞窟の外にある公園内のカフェでサンドイッチを食べながらバスを待つ。トイレに行って戻ってみると、マサトが出発しそうなバスを待たせてくれていた。

 

【ハマダン観光】

午前中で洞窟の見学を終えたので、午後はハマダン市内の観光をする。

まず、ババ・ターヘルの墓を見る。ガイドブックに「足を広げた大蜘蛛」と書いてあったが、たしかにクモっぽい形。(絵あり)墓の中に入りたいとも思わないのでかまわないが、門は閉まっていた。次にゴンバデ・アラヴィヤーン(セルジュク朝時代に勢力を持っていたアラヴィー一族の霊廟)を見学。女子高の隣にあり、学生達がうるさい。建物自体はよく残っているし、中のお墓もきれいな緑の布がかぶせてある。願掛けのためなのだろうか、同じ色のリボンがお墓の周りにたくさん結ばれている。

今日はまるでお墓めぐりだ。次の目的地、エステルとモルデカイ廟(ユダヤ人)は銀行の近くにある。私は歩いていて「ここじゃないのかな?」と思ったのだが、マサトは隣の銀行の立派さに目を奪われて、気づかなかったらしい。ずいぶん遠くまで廟を通り過ぎてしまって、「さっきのところじゃなかったのかな・・・。」と私がいうと、「気づいていたんだったら、早く言えよ!」と怒られてしまった。そんなに怒らなくても・・・。この廟、外のシンプルさからは想像できないほど、中は立派。絨毯が敷き詰められ、シャンデリアが飾られ、墓にはきれいな布がかけられている。「フランス語が話せる」という墓守のオヤジは、「何か日本のお土産をください。」とものをねだる。そして、「私が写真を撮りましょう」などと調子がよい。最後には入場料の代わりに15000リアルもの寄進をねだってきた。ユダヤ人、油断ならず。しかし、ヘブライ語とユダヤの星が珍しい。イスラムの国にこんな場所があるとは・・・。感慨深い。

イブン・シーナ(11世紀の医学・哲学者)廟へ行ってみる。おお、ゴンバデ・カヴースに似ている!(鉛筆型)内部にある博物館のモザイク模様の小箱が、イスファハンで見た土産物屋のものと全く違い、細工が細かい!絵物語の本の挿し絵も美しい!!マサトは、夢中でイブン・シーナについての説明(伝記)を読む。このイブン・シーナは日本の世界史ではアヴィセンナという名前で習う人だ。

最後に石のライオンに行く。これもイランの「3大ガッカリ」に入るそうだが、確かにすり減ってなんだかわからないタダの石になっていて、子ども達がまたがったりして遊んでいる。とはいえ、すこし高台にあるのは、やはりありがたみを感じさせるためなのだろうか?

ハマダン観光はこれで終了。夕飯はホレーシュとチェロモルグを注文する。ホレーシュの肉は羊のミンチ(!)だが、そんなに臭くないのでOK。食べ終わってから、隣の店がアブグーシュ・ディージーの店と知り、「明日はここに来ようね」という。今日はいっぱいものを見て回った。がんばった。(豆の絵あり)ホレーシュとディージーは似ているが、ホレーシュはつぶして食べない。ごはんなどにかけて食べる。(肉とジャガイモ、豆のトマトスープである。)

 

とつぜん思い出話のようになるが、イスファハンには「GAZ」という、ヌガーに近い白いマシュマロのようなものにピスタチオが入った名物菓子があった。これはさしずめ日本で言えば、京都の「おたべ」といったところか。(皆、土産に買っている)イスファハンはまさしく「イランの古都」であった。日本の京都と似ているなあ。

 

(つづく)