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ルーマニア7(No.69)ルーマニアの小さな旅、そしてブダペストへ〜バイア・マーレ、クルージ・ナポカ

 

【サツマーレに行けず、バイア・マーレを訪ねる】

1228日(晴れ)

楽しかったシゲットとも今日でお別れだ。ホテルティサをチェックアウトしようとすると、朝食券を渡された。

「今日は朝食はいりません」というと、フロントのお姉さんは

「でも、朝食付きの値段なんです!」と怒る。

「いいですよ、その分のお金は払いますから」というと、

「レストランでサンドイッチを作ってあげるから、途中で食べるように持って行きなさい!!!」とすごいけんまくで言われた。ここの人は皆、なんて、親切なんだ・・・。

山盛りのパンとチーズ、サラミをもらい、意気揚々とバスターミナル(オトガル)へ。

マサトがバス会社の人に「サツマーレ行きは?」と聞くと「Nu!(ない!)」との答え。

もう一度、「サツマーレ行き、無いの?」と聞くが、答えは「Nu!

今日は14時発しかないらしい。8時発って時刻表に書いてあるのに・・・。正月特別ダイヤに違いない。

これからどうしようか。シゲットを歩くにも、寒いし、この街に残って、再びホテルティサの人々やダナ一家に会ってしまうのもなんだかバツが悪いので、とりあえずもうすぐ出発するという、バイア・マーレ行きに乗る。小さな、まさしく田舎バスだ。シゲットから峠を一つ越え、バイア・マーレに到着。シゲットよりかなり大きい街だが、旧市街へ行くと古いものが残っており、特に「ステファンの塔」という時計塔は美しい。思わぬところで一昨日シゲットの博物館でもらったガイドが役立つ。そのほかルーマニア正教会(三位一体教会)、ハンガリーカトリック教会も旧市街にあり、どちらも中にはいることができて、美しい。これらの建物の近くのピザ屋に入って昼食。ここのピザはイランで食べたようなピザの形式で、外側のチーズが焦げていて、真ん中がパンピザ(両面焼き)たいへんおいしかった。

街のデパートで買い物をすると、小さなメモ帳をたった2冊買っただけなのに、店員さんに「私の店で買い物をしてくれてありがとう。メリークリスマス。」などと言われる。皆、人があたたかい。

観光を終え、ブダペストに行けるのが確実なクルージ・ナポカに出ることにする。バイア・マーレからの列車の中の人々も皆、優しい。今日は気温も暖かく、街の雪も解けていた。いろんな暖かさに触れた感じだ・・・。

クルージには午後8時半到着。マサトが以前個人旅行で訪れた土地なので、夜遅い到着でも不安はない。駅のインフォメーション(@)で明日のブダペスト行き列車を確認。この駅では切符を国境までしか買えないらしいが、国境まで行ければなんとかなるだろう・・・。

今日の宿は以前もマサトが泊まったホテルパックス。前に泊まったときより、宿泊料金が安くなっているらしい。しかも、きれい。トイレ・シャワーは共同だが、充分だ。朝食も早朝から準備してくれるらしく、明日の朝食べてから出発できそうだ。

 

【久しぶりの日本人との旅、久しぶりの日本食】

1229日(くもり)

クルージ駅前のトラムは夜中じゅう走っている。

ここのホテルは「暖房が入っている!暖かい!!」と、某書籍(佐藤暢著:ルーマニアひとり旅)にも出てくるホテルだけあり(笑)、非常に暖房がよく効いている。ゆえに、非常によく部屋が乾燥もしている。少し喉が痛い。

午前5時半起床。朝食会場の食堂がなかなか開かないので気をもむが、マサトの存在アピールにより、640分頃やっと食堂OPEN。ゆでたまご、ソーセージ、アプリコットジャム、どっしりとした丸パン、アップルティーにコーヒーまでついた、しっかりした朝食をいただいた。昨日、ある日本人女性にと話したことにより(マサトの日記にいきさつは詳しくある)買えるかどうか心配だった国境への切符だったが、710分頃問題なく購入。クルージ駅にはバックパックの旅行者が目立つ。皆、ハンガリーにいくのだろう、きっと大丈夫だ・・・。

ブダペストへの国際列車、IC号は早めに駅に到着していて、暖かい車両の中で出発を待つことができた。8人がけのコンパートメントは満席で、ルーマニア人4人に我々、そして日本人の旅行者2人(MさんとKさん)。Mさんはハンガリーに詳しく「国境からの切符も車中で買えるよ」という。今までの旅の話などしつつ、オラデアにつく。国境の街でルーマニア側の出国は問題なし。ルーマニア国境からハンガリー国境までの間は切符がないが、賄賂で交渉成立し、ハンガリー側の入国も問題なし。ハンガリーはEU諸国だからか、入国の際のハンコさえパスポートに押されないのがさみしい。

安堵したのもつかの間、入国後のブダペストまでの切符の交渉が大変だった。車掌が真面目な人で、融通が利かない。

「あなたたちはルーマニアからの電車賃を払っていない」という。Mさん、ハンガリー国民も巻き込んで大奮闘。最終的には119ドルの運賃を払うということで落ちついたが、Mさんがいてくれなければ、私たちは相当待たされたか、ぼられていただろう。感謝、感謝である。無事、私たちはブダペストに到着した。

Mさんはブダペストに友人(Hさん)がいるとかで、私たちにも紹介してくれるという。私たちはHさんに大使館の場所を教えてもらうことにする。とりあえず宿探しをしなければならないので、Mさんたちとは一時お別れ。

その後の宿探しも順調で、運良く、ブラショフのマリアおすすめのプラーベートルームを経営するヴァリにも駅で会え、居を得た。

Hさんたちに会うべく、待ち合わせ場所の日本料理店「ありがとう」へ行く。お店は昼休み。Hさんには会うことができた。Hさんは男性で小柄でソバージュパーマをかけており、丸い眼鏡が芸術家的な感じの好い人。友達のハンガリー人、Gさんも一緒だ。Gさんは日本に留学したことがあり、日本語ができる。「ありがとう」が昼休みだったので、別の日本料理店「JAPAN」へ行く。しかし、これも昼休み。近くのチェコ料理店で、タルタルステーキのサンドイッチとチェコビール(どちらも激うま!)を軽く食べ、お城見学へ。戴冠教会は美しい。

そして「ありがとう」に戻り、タイボウの日本料理!店に入ったとたん、ぷーんとかおる醤油のにおい!!何にしようか迷ったが、(ここは夢にまで見たきつねうどんはない)甘辛醤油味のもので、手頃な親子丼(マサトはカツ丼)を頼んだ。寿司も食べたいが、値段的にも無理だし、とにかく醤油が恋しい。そして、注文したものはやって来た!じっくりかみしめるお米の味、甘辛醤油と鰹のハーモニー、ああ、うまい、うますぎる!たまらないっす!!このお店は日本料理店としては安い方だそうだが、それでも「普通のハンガリー料理店よりはずっと高いよ(Gさん談)」とのことだ。

私たちは今まで、外国に来てまで日本料理を食べる人のことをちょっと小馬鹿にしていたけれど、やっぱり美味しいよ、日本料理は!!親子丼、もう一杯食べたいところだが、皆さんと一緒だし(大食いがばれると恥ずかしい)、お金もないので我慢する。

食事の後、ワインセラーへ。お洒落だ。マサトは、洋梨のパリンカなどを飲む。Hさんのお友達であるKさんも合流。皆さん大変良い人だ。しかし、Gさん、まじめな顔して「パーティーではマリファナやりますよ〜。マリファナはタバコよりいいね〜。」などというのだから、苦笑。Gさんは金髪で、優しげで、ちょっと少年ぽくて、でも(もともとアジアの血が流れている)ハンガリー人のせいか、日本人にとっつきやすい雰囲気を持っている。留学中、日本人の女の子にモテモテだったというのもわかる気がする。そんなイケメンと一緒に写真を撮らなくて残念。

 

【旅の中級者!?】

ヴァリの家に戻ると、日本人の学生さん2人が台所にいた。SくんとNくん。Sくんは横浜国立大学の4年生、Nくんは名古屋大学の4年生だ。2人とも茨城県出身とのことで、幼なじみなのだろうか、一緒に旅行しているようだ。この二人も大変感じがよい。楽しく話しつつも、SくんとNくんがたいそうがっくりしている様子なのは、どうも旅の途中でお金を盗まれたようで、

「ローマの宿で10万とられちゃって・・・。ここと同じような宿(プライベートルーム)だったんですよ。一緒の宿にいたアフガン人があやしかったんですけど。」といい、

「幸い航空券はあるんで、西の旅行は中断して、物価の安いハンガリーに戻ってきたんです。」とのこと。

事情を話して、ヴァリに安く泊めてもらい、牛乳とコーンフレークだけで食いつないでいるらしい。日本へ帰国する航空券はパリから出発だそうだ。しかし、彼らがここブダペストを「物価が安い」ところと言ったのには驚いた。私たちにとってこの街は今まで回ってきた街の中で最も物価が高い街である。しかし、主にEU諸国を回ってきた彼らにとっては、このブダペストが「ビザの必要ない唯一の元東欧」として、最も物価が安い地域となるのだろう。

彼らに「どれくらい旅行しているのですか?」と聞かれたので「もう5ヶ月になるかなあ。中国から出発して中央アジア、トルコ・・・」と今までの道のりを簡単に話すと、「すげえ!」と素直に喜ばれた。なんだか新鮮である。今までは、中国で会ったヒゲさん、メガネくん、中央アジアのYさん、ブラショフのNさんと「個人旅行上級者」とばかり出会っており、私たちはまだまだ修行がたりない「初級者」のつもりだったのだが、彼らにたいそう感心されて、どうやら「中級者」くらいにはなったらしい、と思った瞬間であった。

長く旅行すること、旅慣れること、それが偉いかどうかは別として、ここのところ「2人の旅行スタイル」というものがはっきりと確立してきたことは確かである。人にものを聞くのも苦にならなくなったし、どこの街に行っても「生活する」と言う意味ではなんの変わりもなくやっていくことに自信ができていた。それはヨーロッパに入って環境が整い、生活水準が上がったせいもあるかもしれないが、確実に私たちが旅に慣れ、旅という非日常が日常に溶け込んできたという証なのであろう。

二人と話を続ける。Sくんは来年、シベリア抑留者の遺骨収集という厚生省のプロジェクトに応募し、1ヶ月5万円でカザフスタンに滞在したいと言っていた。このようなプロジェクトが行われていることも知らなかったが、旅行会社に就職するため、ツアコンの資格を取ったという、彼の能力にも感心した。彼は既に1回、同じプロジェクトでロシアを訪問したことがあるという。いろいろな国家プロジェクトがあるものだ。

今日は列車でのJETROに勤めているというKさんや通産省のMさんをはじめ、教養のある人とたくさん会った。そして皆いい人であった。良い一日である。

 

(つづく)