ルーマニア5(No.67)ルーマニアのクリスマス〜シゲット・マルマツィエイ

【サルヴァで足止め】

1224日(晴れ)

次の目的地、シゲット・マルマツィエィでは、クリスマスフェスティバルを見る予定だ。

シゲットへの列車乗り換え地、サルヴァにはやや遅れて到着。乗り継ぎを心配したがホームにまだ待っている人の姿が見え、「シゲット行きの電車に間に合った!Lucky!」と思っていると、急ぐまでもなく、それからもずーっと列車は来なかった。外で待っているのはつらいので、待合室に行くが、人がたくさんいて座る場所もない。実際のところ、待合室の中も寒くて座っているどころではない。足も手もちぎれそうだ。ずっと足踏みをして過ごす。寒―――い。

やっと来た列車は乗車率200%のすし詰め状態。私たちも座席(コンパートメント)までたどり着けず、通路にとどまり、動けない。車内も暖房は効いていない。サムイ。私たちとおなじく通路にいたあるおじちゃんが「ジャポネーゼ?(日本人か?)」と質問してくる。「そうだ。」と答えると、気遣ってくれ、席を調達する手はずをしてくれたらしく、2時間後くらいにコンパートメントが空き、入って座れた。コンパートメント内にも暖房はないが、通路よりは、はるかにましだ。おじさん、ありがとう。ルーマニア人も旅行者に優しい。

シゲットに到着。美しい町だが、クリスマスの飾りは少ない。本当にこれからにぎやかな祭りが行われるのだろうか。今静かなだけで、これからにぎわってくるのだろうか?

まずは宿探し。マサトが以前泊まったというHotel Tisaはリノベーション後できれい。25ドルと値段も良い。しかも、部屋にシャワーはもちろん、テレビ付き!朝食付き!!他のホテルの客引きも受けたが、ここに落ち着くことにする。

荷物を置いて街に出ると、お祭りは2627日にあるとのこと。クリスマスフェスティバルといっても、クリスマスイブ(24日)からクリスマス(25日)にかけて行われるわけではないのだ。お祭りがしばらく先とわかって、今日は博物館に行ったが、閉まっていた。

昼食を食べたレストランでは、ルーマニアを描いた日本人作家として有名な「みやこうせい氏と友達」という、ルーマニア人に会った。ミティティ、カツレツ、ショルパ、サラダ、パンなどを食べる。

 

【ダナとの出会い】

1225日(晴れ)

お祭りもないので、今日はゆっくり。8時に起き、おいしいオムレツの朝食を食べ、郊外の街、サプンツァに行こうとバス停に行くと、驚くべきことに、全ての郊外(長距離)バス路線がストップ!本数が少ないのではなく、全面運休だ。公共交通機関もクリスマス休暇なのだ。だから、昨日あんなに列車が混んでいたのか・・・と思う。

がっかりしつつシゲット中心地の教会へ。教会内部が丁度お祈りタイムで入れなかったが、そのお祈りも数十分で終わり、中へ入る。美しい!青が基調のフレスコ画。クリスマスツリーも飾られている。マサトが教会内の写真を撮りたいという。「聖地だから・・・」と戸惑っていると、ある青年が登場。「問題ないですよ」とマサトにいう。マサト、教会内部を写真におさめる。

撮影を終えて、教会から外に出ると「家にきませんか」とある姉妹が声をかけてきた。ダナとモナという。こんな風に知り合ったばかりの人の家に行っても大丈夫なのだろうか・・・。ダナもモナも学生風で、悪い人には見えないが・・・。マサトは「やった!」とばかりに喜んでいる。そうはいっても、ここから直接行くのは気が引けたし、手ぶらでは、おじゃましにくいな、と思い、ホテルに戻って絵はがきを取ってきた。

ダナの家でお昼をいただく。豚の頭の煮こごりに始まり、野菜と肉のスープ、サルマーレ、ポークステーキとソーセージおよびピクルス、34種類のケーキ、そしてたくさんのツイカとワイン(赤2+白)、コーヒー!!食べすぎで、く、苦しい〜。

食事に招待してくれた姉妹の妹、ダナのお母さんであるミカは、ちょっと変わった人で、真っ赤なリボンを頭に着けている。痩せていて、真冬なのに真っ青なTシャツを着ているので、不思議な感じだ。でもまあ、赤いリボンはクリスマスだからなのだと理解する。ミカは不思議な雰囲気の人だが、ずっと話しかけ続けてくれる、明るい人だ!

ダナが「この後、教会でコンサートがあるのよ」と教えてくれた。私たちはもちろん「行きたい!」といい、「皆で一緒に行きましょう」と誘ってみた。お母さんのミカは「寒いから嫌だわ」と言っていたが、「今日は外国のお友達が来て、特別だから」と説得し、一緒に教会のクリスマスコンサートに行く。

このコンサートは街の少女たちによって編成された聖歌隊の賛美歌コンサートだった。その賛美歌の音色はとてもとても素晴らしく、清らかな少女達の歌声に感動して、私は涙をこらえるのが大変だった。教会は地元の信者で埋め尽くされ、東洋人は私たちだけのようだった。そのせいか、コンサートの最後に牧師さんが「日本から来てくれたお客さんです」と私たちのことを紹介し、パンまでもらった。さらにコンサートが終了すると、教会の地下室で行われた、聖歌隊の打ち上げにまで参加させてくれて、ツイカや菓子を振る舞われた。そしてその地下室では第二次コンサートとでもいうべきだろうか、円になって人々が歌った!私はとても感動した。マサトはたくさん写真を撮った。地下室は、暖かい家庭的な雰囲気につつまれた。牧師さんは自分の奥さんを紹介した。この国の牧師さんは結婚して良いようだ。

打ち上げが終わると、再びダナの家へ呼ばれた。先ほどの料理を、またまた「のめのめ」「くえくえ」で、日本のお正月状態だ。本当にすごくHappyLucky1日だ。That’s Christmas!! (これが、本場のクリスマスなんだなあ!)である。皆でクリスマスソングなど歌う。私たちも日本の歌を歌った。「もみじ」と「ふるさと」。「日本の歌を歌って」とリクエストされても、何を歌おうか、意外とムズカシイものである。「荒城の月」とかもあるけど暗いかなとか、「さくら」は単純でみじかすぎるかな、とか・・・。明日は何を歌おうか・・・。そう、こんなにご馳走になったうえ、明日も呼ばれてしまったのだ。これが「マラムレシュの人のホスピタリティ」か・・・。すさまじいホスピタリティだ。

今日、ダナ達に出会う前、朝小山に登ったり、凍った川をみたりして、シゲットを観光したことをすっかり忘れてしまっていた。そのような朝の出来事は頭の中から吹っ飛んでしまっていた。それくらい、今日のダナ一家との一日は衝撃的なものだったのだ。人との出会い、これに勝るものはない。

私たちは宿に戻り、夜になったが、ちっともお腹は空かない。

シゲットに来るとき(とくに昨日のむちゃくちゃ寒い電車の中では)「こんなクソ寒い中、こんなところまで来て・・・」と思った。そうはいっても、心のどこかでは、旅を始める前から、ここはマサトの最もオススメの場所なので「いいこともあるかもしれない」というかすかな期待があった。しかし、今日はサプンツァ(つまりマサトが良いという田舎)にバスの全面運休で行けなかったし、この滞在は期待はずれになってしまうのかと思っていたのだが!!マサトがなぜ、ここにクリスマスに来ることにこだわったのか、理由がわかった。マサトに感謝、感謝である。そしてもちろん神(God)にも感謝だ・・・。ダナがあんまりGod,Godというもんで、私にも信仰心が生まれたか?私たちはクリスチャンではないし、今後もクリスチャンになることはないと思うが、神はどんな宗教でも共通のものだと思うから、今日は感謝だ・・・。今日はダナに十字架のきりかたを教わった。十字架はてきとうに手をグー(拳)にしてきっているのかと思ったら、親指がキリスト、人差し指がハト、中指がオヤジ(God)を表すのだそうで、人差し指と中指の下に親指を添えて指が十字架の形になるようにしてきるのだそうだ。また、ルーマニア正教とカトリックでは十字の切り方が左右逆になるらしい。(正教は右から)私たちは最初「信者じゃないし」と教会で十字架はきらずにぼんやりしていたが、ダナが「信心深い人(ジーザスを心から信じている人)もいるからマネして。」と言った。怒る人がいるのだろう。信者じゃない私としては、「信者でもないのにマネだけする方が神に失礼では・・・」とためらわれるが、「まあ、たとえば日本の明治神宮で、柏手(二礼二拍手)をおそわっているようなものか?」と思うと多少気楽にもなる。シゲットの教会は日本の神社より数段厳かだが・・・。でももしかしたら、ルーマニア人が日本に来て、お正月に神社に詣でる私たちをみたら、信心深く見えるのかもしれない。ダナは「クリスマスと新年とイースターは特別なのよ!」という。とくにクリスマスはたとえ貧しい人でも特別に料理をつくり、祝うという。まさしく日本の正月だ。家に入る前、物乞いにダナがものをめぐんでいたが、「よい行いをすると徳になるけれど、とくにクリスマスによい行いをするのは徳が倍になるのよ」といっていた。そういう教えがあるのだ。

話は変わるが、ダナのお父さんは離婚してどこか他のところにいるらしい(後で、実は同じ街にいたことが判明)。「これも人生よ」と笑う彼女がけなげだ。しかし、お母さんはよく女手一つで3人の子を育てたものだ。かつて家庭科の先生であった(今はシゲット版「タウンページ」の制作会社にいる)という彼女の顔には苦労の跡が現れている。「苦労している人ほど、優しく、明るい」とは良く言ったもので、彼女の明るさがこの家庭を救っているのかもしれないと思った。

ダナは言った。「来年でお母さんは退職するの。来年は私が就職するわ。幼稚園の先生になりたいの。子どもが大好きだから!」ダナもとても明るいのだ。ダナに「いつか日本に遊びに来てね」というと、彼女は「ルーマニアの何人かの政治家や宗教家はすごくお金持ちだけれど、一般市民には何もしてくれないわ。もし、私のお母さんが旅行したいと思ったとしても、2年間働きづめで働いて1週間しか旅行にいけないの。いいえ、いけるかいけないかよ。日本に行くなんて夢のまた夢。だからあなた達がここに来てくれれば、それでいいの。」という。社交辞令だったとはいえ、軽率な言葉だったかと、後悔に重い気分になった。しかし、彼女らは貧しくとも、貧乏たらしい生活をしているわけではない。彼女の家には素晴らしいクリスマスツリーがある。そして、客人にはあたらしい石鹸を用意し、部屋の中はセンス良くこざっぱりとしているのだ。「今年のギフトはスリッパと石鹸と絵はがきだったの!」と屈託無く笑う彼女。なんとつつましやかな生活であろう!今日いただいたものはこの家にとって本当に本当に特別なごちそうであったに違いない。ありがたいばかりだ。

 

(つづく)